ジャパンカップ後に屈腱炎が見つかり、引退となりました。

昨年のジャパンカップまでは書いてあるので、今回はそれ以降の奮闘について書こうと思います。

 

昨年のジャパンカップ後に、しばらく休養かなと思いましたが、有馬記念に出ることになりました。激闘の後しがらきに戻してすぐ帰厩させるようなローテーションだったので、期待より不安の方が大きかったです。在厩で中2週で使うことはありましたが、しがらきに戻すのは疲れがあるからで、そんな短期間で疲れが取れてレース使えるのかな、という心配でした。

なんとか有馬記念には出たものの10着惨敗でした。今思えばイクイノックスがいたのですから、ちょっと強引だったのかもしれません。

 

年明けはしがらきで休養していたのですが、春は狙えそうなレースがドバイシーマカップぐらいしかないので、海外制覇もあるのではと期待しました。

しかし、陣営が選んだレースはドバイワールドカップでした。おそらくシーマクラシックはイクイノックスが出るので、それを避けた形なのかと思いますが、ドバイのダートは合わなかったのもあり、13着に終わりました。イクイノックスがドバイターフ使ってくれれば可能性もあったと思いますし、それなら2000mの大阪杯や香港等の海外レースという選択肢もあったのではないでしょうか。

 

その後は宝塚記念に向かいました。今回はまずまずやれそうかと思いましたが、8着。やっぱりイクイノックスが強すぎました。中々条件が合わないというか、G1で後方一気というのは難しいので、やはり中段ぐらいにつけて馬群割って、という競馬がいいのですが、前に行って折り合いを欠くのを避けた形が多かったです。

 

そして、秋は前年と同じ、京都大賞典からのジャパンカップという路線になりました。京都大賞典は京都開催に戻ったので、阪神よりも適正がなかったのかもしれません。ジャパンカップはやはりイクイノックスが強かったですが、ジョッキーがマーカンドからムーアに、ムーアがケガでリタイアしたのでドイルにと、転々としたのもトーンダウンでした。だからといって、マーカンドやムーアでもイクイノックスには勝てるはずもなく、よくて3着争いだったと思います。そして冒頭のとおり引退となりました。

 

このまま来年も競走生活を続けて、どこかで好走することはあったかもしれませんが、G1を勝てたかというとあまり期待できなかったと思います。直線が長い競馬場で中長距離、スローになりやすいレースだと、もう日本にはジャパンカップぐらいしかないと思いますし、海外でも厳しかったと思います。その点では、ここで種牡馬入りできたのは幸運だったと思います。

今年の目標を凱旋門賞に据えて、練習で香港等の海外遠征をするというのが個人的な願いだったのですが、クラブ会員では全く発言権はないので、仕方ないですね。

 

種牡馬としての期待は、あまり例のないクロフネのクロスができることでしょうか。サンデーサイレンスも4代目なので、例えばクロフネのクロスを活かして軽さを補うような配合がいいのかな、と思います。

次は産駒での勝利が夢になるのかな。キャロットで募集はほとんどないと思うけど。