高倉健が亡くなり、菅原文太が亡くなり、
時間の駒がまた一つ、先へ進んだ事を象徴させます。


追悼の映画を変え替え観ておりますと、
昭和40年代、50年代の日本人と今の日本人とでは、
同じ言葉を使いながらも、感性が異質である事に気付かされます。


30年前、40年前の人間と、感性が異なるのは当たり前なのかもしれません。
環境が育む感性というものは、その土壌となる30年前、40年前が生み出す結果だからです。


国中を大手を振って歩いている今の60歳代を見ていると、催す吐き気が止むことがありません。


本年9月11日、朝日新聞が謝罪会見を開きましたが、
当該問題は、朝日新聞が捏造記事を掲載したことが主題ではありません。
この記事を読み、何も考え感じることなく信じ込んだ多くの国民にこそその責任はあります。
あれら記事を読んで、違和感なく信じ込んだ主世代が今の60歳代なのです。


彼らが作り上げてきた環境は、ドス黒く濁り日本人を破滅へと向かわせていました。
その時代も、まもなく終焉を迎えます。


世が平成となってからの26年目が、まもなく終わろうとしていますが、
私たち今の日本人は、30年後、40年後の為の良い土壌を築けているのでしょうか?

(敬称略)



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