2026年10月3日(土)22:00

 

 

 

 

 

 

 

上記のタイトルの件について。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

選手たちの未来のために、

 

そしてスポーツを支えるすべての人のために、

 

もう一度考えていただけないでしょうか。

 

 

 


 

 

 

 

 

大阪中学校体育連盟のエントリー手続き上のミスにより、

 

全国大会への出場を予定していた8人の中高生が

 

大会に参加できなくなったという報道に接し、

 

私はとても残念な、そして悲しい気持ちになりました。

 

 

 

 


もちろん、

 

締切までに必要な手続きを完了できなかったという事実は

 

真摯に受け止めなければなりません。
 

 

 

 

 

そして、

 

同じことが二度と起こらないよう、

 

再発防止に向けた取り組みも必要だと思います。
 

 

 

 

 

しかしその一方で、

 

この問題について、どうしても気になることは、

 

「手続き上のミスがあったこと」と

 

「選手が大会に出場できなくなること」を

 

分けて考えてもよいのではないか、ということです。

 

 

 

 


まず、

 

今回出場できなくなった選手たちは、

 

競技成績によって正当に代表権を獲得していました。
 

 

 

全国大会へ出場するための

 

競技上の条件も満たしていました。
 

 

 

選手自身がルールに違反したわけではありません。
 

手続きに関与していたわけでもありません。
 

 

 

日々の練習を積み重ね、

 

自らの力で出場権を勝ち取ってきたのです。
 

 

 

そう考えると、

 

最も大きな影響を受けるのが

 

責任のない選手たちであるという現状には、

 

どうしてもやりきれない思いが残ります。
 

 

 

 

 

今回、日本陸連は

 

「期限後の追加申し込みは受け付けない」という判断を示しました。
 

 

 

その判断には、

 

公平性や大会運営を守るという考え方があるのでしょう。
 

 

 

ルールを守ることの重要性は

 

誰も否定できません。
 

 

 

ただ、

 

ルールというのはこの場合、

 

本来、

 

「選手たちの努力が正しく報われる環境を守るため」に

 

存在するものでもあるはずです。
 

 

 

今回求められているのは、

 

出場資格のない選手を特別扱いしてほしい、という話ではありません。

 

 


すでに出場資格を得ている選手たちに対し、

 

本人たちに責任のない事情によって失われようとしている機会について、

 

何らかの救済の余地はないだろうか、という問いかけです。

 

 


だからこそ、

 

この件については規則そのものだけではなく、

 

その規則が

 

「何のために存在しているのか」という原点にも

 

目を向けてもよかったのではないかと思うのです。
 

 

 

 

 

また、この問題を考える上で、

 

手続きを担当した方々だけを

 

必要以上に厳しく責めるべきではないとも

 

私は強く感じています。

 

 


なぜなら、

 

今回起きたことは「故意によるものではないから」です。

 

 

 


 

誰かに損害を与えようとしたわけでもありません。
 

規則を軽んじていたわけでもありません。
 

 

 

 

 

そこにあったのは

 

「悪意」ではなく、

 

人が関わる以上

 

「避けることのできない過失」です。

 

 


もちろん、その結果は重大です。
 

 

 

しかし、

 

その重さを

 

最も深く受け止めているのは、

 

まさに

 

「その業務に携わっていた方々自身」ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

わたしは、その気持ちが

 

わたしも同じような環境にいる中で

 

すごく良くわかるのです。

 


 

 

 

長年にわたり大会運営を支え、

 

多くの子どもたちの挑戦を陰で支えてきた方々だからこそ、

 

今回の結果を

 

重く受け止めているはずです。
 

 

 

だからこそ、

 

私たちは、

 

「一度の過失だけ」を切り取って、

 

その人たちの

 

これまでの努力や献身までも否定してしまうべきではないと思います。
 

 

 

大切なのは

 

誰かを悪者にすることではありません。
 

 

 

なぜこのようなことが起きたのかを検証し、

 

同じことが二度と起こらない仕組みを整えていくことです。
 

 

 

 

 

 

 

さらに私は、

 

この問題は

 

「陸上競技だけ」に限った話ではないように思います。
 

 

 

 

 

現在の日本は、

 

「少子高齢化」と「人口減少」という

 

大きな課題に直面しています。
 

 

 

子どもや若者の数は減少し続けています。
 

スポーツを支える選手も、

 

指導者も、

 

審判も、

 

大会運営を担う人材も、

 

これからますます貴重な存在になっていきます。
 

 

 

そのような時代に必要なのは、

 

人為的なミスをした人を「排除すること」ではなく、

 

限られた人材を社会全体で支えながら、

 

同じ失敗が起きない仕組みを構築していくことではないでしょうか。
 

 

 

失敗した人を責めて終わる社会では、

 

人は

 

責任ある役割を引き受けることを躊躇するようになります。
 

 

 

 

 

だれもそんな仕事は、

 

したくないと思うでしょう。

 

 

 

 

しかし、

 

失敗を共有し、

 

改善につなげる社会であれば、

 

人は再び挑戦することができます。
 

 

 

 

 

スポーツもまた、

 

多くの人の善意と献身によって支えられています。
 

 

 

そうした土台が弱くなれば、

 

大会運営そのものが難しくなり、

 

ひいては「スポーツ文化そのもの」の活力が失われてしまいます。
 

 

 

それは単に

 

競技人口の問題だけではありません。
 

 

 

地域社会のつながりや、

 

子どもたちが夢を追いかける機会、

 

そして

 

日本という「国の活力」にも関わる問題だと思います。
 

 

 

 

 

だからこそ、今回の出来事は、

 

誰かを責めるための材料ではなく、

 

より良い未来のために

 

何を改善できるのかを考える機会として

 

受け止めるべきではないでしょうか。
 

 

 

 

 

また、

 

この問題を見ている「私たち非関係者」も、

 

少しだけ視点を広げてみてもよいのかもしれません。
 

 

 

 

 

簡単にいうと、

 

「優しさ」と「寛大な心」です。

 

 

 

 

 

報道がなされると、

 

どうしても責任の所在に注目が集まります。
 

 

 

しかし本来、

 

スポーツに関わる人々の願いは共通しています。
 

 

 

選手たちは

 

努力の成果を発揮したい。
 

 

 

指導者は

 

選手を最高の舞台へ送り出したい。
 

 

 

運営に携わる人たちは

 

大会を成功させたい。
 

 

 

保護者や地域の人々は

 

子どもたちを応援したい。
 

 

 

皆が同じ方向を向いているはずです。
 

 

 

だからこそ私たちも、

 

責任追及だけに目を向けるのではなく、

 

選手も関係者も

 

ともに報われる形はないだろうか、

 

という視点で見守ることができれば、

 

そのこと自体が

 

スポーツを支える力になるように思います。
 

 

 

 

 

私は、

 

日本陸連にも大きな期待を寄せています。
 

 

 

日本陸連は、

 

規則を「管理するためだけの組織」ではないはずです。

 

 


陸上競技に打ち込む人々を支え、

 

選手たちの挑戦を後押しし、

 

「日本のスポーツ文化を発展させるために存在している組織」であるはずです。

 

 


そのため、

 

すべての判断の中心には

 

何よりも

 

「常に選手が中心である」

 

という視点に立っていてほしいと思います。

 

 


選手の努力をどう守るか。
 

子どもたちの夢をどう支えるか。
 

競技に関わるすべての人々をどう育み、どう支えていくか。
 

 

 

そうした視点こそが、

 

陸連の組織が本来大切にしてきた理念であり、

 

存在意義そのものではないでしょうか。
 

 

 

 

 

ルールを守ることと、

 

人を守ることは、

 

本来対立するものではないはずです。
 

 

 

今回のようなケースだからこそ、

 

その両立を模索する姿勢が求められるように思います。
 

 

 

 

 

そして、私が何より願うのは、

 

この出来事の結末が、

 

誰かを責めて終わるものではなく、

 

「スポーツ」を介して

 

人と人とが支え合うことで生まれる温かな物語になってほしいということです。
 

 

 

全国大会の舞台で、

 

この8人の選手たちが

 

笑顔でスタートラインに立つ姿を見てみたいと。
 

 

 

力を出し切り、

 

表彰台で歓喜に包まれる選手もいるかもしれません。
 

 

 

思うような結果が出ず、

 

悔し涙を流す選手もいるかもしれません。
 

 

 

しかし、

 

そのどちらもまたスポーツのかけがえのない一場面です。
 

 

 

競技を終えた選手たちの周りには

 

その家族がいて、

 

その監督がいて、

 

その仲間がいて、

 

そして

 

その大会を支えてきた多くの関係者がいるのを

 

私は知っています。

 

 

 

 


張りつめていた時間の先に、

 

それぞれの立場で

 

さまざまな思いがあふれ、

 

言葉にならない表情が交わされる光景があるかもしれません。
 

 

 

そこには

 

勝敗だけでは語れない、

 

「人と人とのつながりと思い」があるはずです。
 

 

 

私は、

 

そのような光景こそが

 

「スポーツの本当の価値」だと思っています。

 

 

 

 


誰もが失敗をする可能性を持っています。


だからこそ、

 

失敗した人を排除するのではなく、

 

その経験から学び、

 

次へつなげながら、

 

お互いを支え合う社会であってほしいと思います。
 

 

 

選手の夢を守ること。
 

関係者の努力を尊重すること。
 

そして、

 

二度と同じことが起きない仕組みを築いていくこと。
 

 

 

そのすべてを実現しながら

 

大会が成功し、

 

何年か、何十年か先の未来に

 

 

 

選手も、

 

家族も、

 

指導者も、

 

運営に携わった方々も、

 

「いろいろなことはあったけれど、最後は本当に良かったなぁ。」

 

と振り返ることのできる日が訪れることを願っています。
 

 

 

 

 

もし

 

そんな未来が実現するならば、

 

それは単なる「8人の救済」ではありません。

 

 


スポーツが

 

人を育て、

 

人を結びつけ、

 

社会に希望を与える力を持っていることを、

 

改めて皆が実感できる瞬間になるはずです。
 

 

 

私は、

 

その光景が見られることを

 

心から期待しています。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おっと!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとまじめなことを語ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明日の

 

競馬予想は

 

このあとスグ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん

 

 

グッドラック!