2021年8月8日(日)20:00〜

 

 

 

 

 

 

東京オリンピックが閉幕する。

 

 

 

 

 

 

 

 

閉会式。

 

 

 

 

 

 

マスクを着用していない、などと

 

海外選手を批判している方々も多い。

 

 

 

 

 

「マスクをしていないとは何事だ!」

 

と怒りを顕(あらわ)にしている人々。

 

 

 

 

「そんなことだから、一般市民もマスクをしなくなるのだ!」

 

という意見も聞こえてくる。

 

 

 

 

 

しかし、それは別の問題である。

 

 

 

 

 

 

ここにいる選手は

 

原則として、PCR検査を受け、

 

陰性と判断されているからこそ、

 

「コロナ以前の日常」と同じように

 

蜜になり、

 

マスクも着用せずに列席している、

 

ということが大前提にある。

 

 

 

 

 

 

この映像だけを見て

 

その部分を批判してもしょうがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

それよりも、

 

国立競技場の周辺に集まっている「群衆」こそ、

 

その行動を省みる必要がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それに、

 

オリンピック閉会式に出席しなかった者が

 

多数存在するのも

 

紛れもない事実である。

 

 

 

 

 

 

それは、

 

金メダルを夢見ていながらも

 

手に入れられずに敗北していった選手たちだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

感動的な演出や言葉を

 

どれだけ多く羅列したところで、

 

「敗者」にはまったく関係なく

 

無意味なことなのだ。

 

 

 

 

 

 

その敗北感や屈辱感は

 

単に「感動をありがとう」などというような

 

薄っぺらな言葉では片付けられないであろう。

 

 

 

 

 

勝者を目指して

 

人生を賭けて努力してきたにもかかわらず

 

勝ち取ることができなかった金メダル。

 

 

 

 

 

 

 

その記憶は

 

勝者が一生「金メダリスト」を名乗って

 

栄光を味わうのと引き換えに

 

敗者は一生、

 

「敗北感」を背負って生きていくのである。

 

 

 

 

 

 

 

勝者にとっては

 

これほどまでに心地よい舞台は

 

無いことであろう。

 

 

 

 

 

 

 

その感覚は、勝者にしかわからない。

 

 

 

 

 

 

 

ただ映像を見ているわれわれ

 

一般市民は、

 

個人の価値観でしか判断できない。

 

 

 

 

だからこそ、

 

その個人の考えを「押し付けること」は

 

決してできないのである。

 

 

 

 

 

 

 

それにしても、

 

最後に映し出された

 

「ARIGATO」の言葉。

 

 

 

 

 

 

 

なんなのだろう。

 

 

 

 

 

 

これが世界へ向けての

 

「日本」の言葉なのであろうか?

 

 

 

 

 

 

本来、

 

正しい国語であれば、

 

「ARIGATOU」ではないのか。

 

 

 

「ありがと」ではなく、

 

「ありがとう」である。

 

 

 

 

 

 

 

「伊藤さん」を

 

英語表記で

 

「ITOU」ではなく

 

「ITO」と表すことと

 

同じニュアンスなのであろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

東京オリンピックは

 

最後まで

 

細部にこだわらず、

 

流れに身を任せて

 

日本らしい「細やかな気配り」や

 

「独自の緻密さ」を伝えられずに終えてしまった、

 

いわば

 

 

「適当」に開催された感じが強く残った印象であり

 

極めて残念に感じてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

「適当」ではなく、

 

「テキトー」と表現した方が

 

適切かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

選手たちは何も悪くない。

 

 

 

 

 

 

その周囲を取り囲む人々が

 

われわれ「一般国民」を

 

味方につけることができなかったことを

 

言っているのである。

 

 

 

 

 

 

 

男子マラソンを見ようとしていた

 

札幌市民は、

 

「いない」のである。

 

 

 

 

 

そこに映っていたのは、

 

いわゆる「日常」を保っただけの

 

ただの「札幌市民」なのだ。

 

 

 

 

 

いつも通り、

 

そこを通りかかっただけの人たちなのである。

 

 

 

 

 

たまたまいつも通り生活していたところで

 

人生に一度か二度しか日本で起こっていなかった

 

オリンピックの

 

「男子マラソン」が行われていた

 

「それだけ」のことなのである。

 

 

 

 

 

珍しいことが

 

目の前で起これば、

 

注目するのが自然であり、

 

その行為を

 

「観戦していた」などと言ってはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

たまたまそれをテレビで見ていた「あなた」が

 

 

札幌市民を非難、批判してはいけない。

 

 

 

 

 

 

コロナウイルスは

 

たかだか「人類」が

 

蜜にならないように努力したり、

 

布製のマスクをしたくらいでは、

 

制御できないレベルのウイルスなのである。

 

 

 

 

 

 

何はともあれ、

 

東京オリンピックというイベントは

 

終わったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

それが残した「功」と「罪」は、

 

すべての人類、

 

そして

 

日本国民が受け止めなければならないのである。

 

 

 

 

 

 

 

争っても、争わなくても、

 

現時点で起きている事象を

 

どのように捉え、対処しなければならないのかは

 

私たちに委ねられているのだ。