「R-1ぐらんぷり2013」には

過去最高の3684名が参戦した。



この「R-1ぐらんぷり」は
プロ、アマ問わず、

面白ければ何でもOK

という

いわば
お笑いの異種格闘技だ。



笑いのツボは人それぞれだ。



何を面白いとするのか、

その好みは分かれるところだ。




ここ最近は

「R-1ぐらんぷり」の

優勝者よりも

優勝を逃した方が、ブレイクする、

と言われている。




そこには

何を面白いとするか

の定義が曖昧になっていて、
R-1以降に

その芸人が

面白さを継続できるかどいかは

誰にもわからないからなのだ。





このことが、

R-1を

なんだかパッとしない感のあるものになりつつある。


それが

将来性を見極められない結果になっているのである。





曖昧な「笑い」という分野を


私なりに

いくつかの種類に分類していってみたい。






例えば

一人芸の典型的なものといえば

落語だが

このR-1で

「落語」というジャンルを選択した時点で

そこに落語以上の広がりは期待できない。


世界のナベアツ改め

桂三度のあの

落語の枠にはまった笑いでは、

「3のつく数字と3の倍数でバカになるネタ」の

あのアホらしい完成度を越えることはできない。




なぜなら、落語は座って話すことが

大前提であるからである。


動き回ることはできない。




もしあり得るとするなら、

「落語から他のネタへ切り替わる」ような
ネタを創れば、

可能性があるだろう。


それをやってしまったら、

落語を冒涜することになりかねない。


リスクがデカすぎる。





または、

「落語に無関係な職業の人が真面目に落語をやる」というネタなら

まだ許せるかもしれない。



発想はそこにある。







それでは、

その他の「笑い」を

細分化して

定義付けしてみよう。





例えば、
人から聞いた「伝聞ネタ」や

他人が起こした
「ハプニングネタ」など、


「演者以外の人」がやった


たまたま面白かった出来事や

たまたま起こった出来事を

単に羅列する場合は、


その演者「個人」が面白いかというと、


実は

そうではない場合がほとんどである。





これを面白いとして
選ぶことは

一番タチが悪い。





なぜなら、

先ほど述べたように

演者「本人」が面白くはないから

である。





次は

「モノまねネタ」だ。




これもR-1にはふさわしくない。



モノまねは、モノまね番組で見れば

十分なのだ。





次は「パフォーマンスネタ」だ。



いわゆる

拍手をもらうような

見ている人々を感動させるネタだ。




これも

実は面白くはないのである。






私たちがR-1に求めているものは、


あくまでも、

腹を抱えて素直に笑えるネタなのだ。





では、

私たち視聴者の

正しいR-1の見方は

何なのだろうか?




何を評価すれば良いのだろうか?




それは、


「オリジナルのジャンルの笑いを確立し、創り出したかどうか」

なのである。







R-1の一発目の

岸学のネタは

その典型だ。




まさに

「ダイエットしたい人が、試食コーナーで空揚げを食べるかどうか」という

どうでもいい、とんでもない設定を

創り出せるかどうか、にある。



じつは

こういうネタは

高く評価されるべきなのだ。






三浦マイルドの

広島弁を面白おかしく

伝えるのは

ネタの創りとしては

評価できる。



ただし、

これは

フリップネタに分類されてしまうところがあり

ポイントは減点される。




視聴者は

フリップネタは

見飽きているのである。




それを踏まえると

ヤナギブソンの

円グラフネタは

まだ許せる。



もっと練り込んで

最後にデカイ笑いが作れたら

確実に三浦マイルドを越えられたに違いない。





プラスマイナス岩橋

のネタは、

いわゆる「アホネタ」に分類される。



バカな奴がバカなことをやっても、

それは

ただのバカで、

学のある人たちを

笑わせることはできない。



笑いは

ギャップである。



東大教授が

バカなことをやったほうが

まだ面白いのだ。






プラスマイナス岩橋のような

天然バカが

バカなことをやっては

笑えないのである。





そう考えると

ヒューマン中村の

フリップネタは

その内容は

評価できる。



なぜなら

フリップネタにも関わらず

中身はオリジナリティに溢れているからである。







三遊亭こうもり

は、ただの落語で

先ほども言ったように

その先に広がりがなく

残念ながら

落語のままだ。





落語は、寄席で見ればよいのであって

R-1には誰も求めていない。






かなり評価が高いのは

田上よしえ

だ。



アラフォーの女ならではの

年期の入ったネタは

それ自体にオリジナリティがある。



ただし

最後のオチ

ケツメイシはいただけなかった。





桂三度も

「落語」では勝負できない。





世界のナベアツの方が

R-1には求められているような気がする。





そして

キンタロー。



「モノまねネタ」だが


残念ながら

R-1に出る前に

見飽きてしまった。





このネタが

テレビ初登場だったとしたら、

その衝撃度は

もう少しあっただろう。






スギちゃん

は、もっての他だ。




カンペを見る時点で

これはダメだ、と

思われる。




この神聖なお笑いR-1の場で

よくも「カンペ」を見ながらやったな、

と思う。






アンドーひであき

は、

「パフォーマンスネタ」だ。


すごいとは思ったが

R-1で

感動や感心することは

必要ない。





雷ジャクソン高本は

「暴露・タブーネタ」だ。



観客は「えーっ!」とか

ビックリするが

間違いなくそれは

笑いではない。





「誰にもバラしてはいけない国家機密を、キャバクラのおねーちゃんには平気で話す」


なんてことを、

まさに

平気で「暴露」している。




これは

話している

雷ジャクソン高本自体が
「面白い」
わけでは

断じてないのである。




単に、暴露しただけ、だ。







お笑いを創り出す

ということ。





今のお笑い界で

本当にお笑いを追求して生き残っている

「芸人」といえるのは

松本人志、

志村けん、

内村光良、

ラーメンズ、だ。






かたくなに

オリジナルの笑いを作り上げている。





IPPONグランプリ、

すべらない話、

志村けんのバカ殿、

爆笑レッドシアター、

ボツネン博士シリーズ、

などが、

笑いを「創り上げている感」

がある。




ほっしゃん。だって、

なだぎ武だって、

浅越ゴエだって、

COWCOW多田だって、


独自の世界観を創り上げて優勝したのだ。




ドランクドラゴン塚地や

インパルス板倉など、

もうすでに

売れてしまったが



彼らのその世界観は

R-1が求めるものに

近い、

と私は思う。





「とんでもないシチュエーション」で

「独自の世界観」を創り出せる人間を

R-1のチャンピオンにしたいものだ。