途中から見た

感想を一言。






尾木直樹曰く
「学校は、人材育成の場になっている」。




「学校はどこまで多様であるべきか?」




「総合的な学習の時間」
をどう教えるのか。




「その子の個性やペースを尊重する」




「子どもたちの自主性を伸ばす」






番組では

そんなテーマについて語られていた。









世の中が多様化し、

社会も多様化し、

子どもたちの生活も多様化し、

大人たちも

多様化している。






多様化しているから、


それに教育を合わせるために

子どもたちへの教育も多様化させよう、

ということなのだと思うが、


だとしたら、

一人一人にやりたいことだけをやらせて、

好きなことや
得意分野だけに特化してやらせてやることが

学校の存在意義になるのであろうか?


あまりにも
一人一人にやりたいことだけをやらせてやることを

意識しすぎてはいないだろうか。





まず、言えることは、


今の日本では、

それぞれの年代によって、

学校教育は違ったものを

提供してきているのは

事実だ。




10代、
20代、
30代、
40代、
50代、
60代、
70代、
80代、
90代。


100歳以上の方も当然いるだろう。




それぞれの年代が、学校教育を受けてきた。






天才バッターイチローは、


特別な幼少時代を生きてきたのだろうか。



将棋で七冠を完全制覇した

羽生善治。


彼は特別な幼少時代を生きてきたのだろうか。



天才ジョッキー武豊。

彼も、特別な幼少時代を送ってきたのか。


iPS細胞を発明した

山中伸弥教授は、

それに特化した幼少時代を過ごしてきたのか。




全く違う。




一人一人が、自分の好きなことだけをやって、


例えば他人との関わりを閉ざして、

好きなことだけをやり続ければ

それらの人たちが

幸せな人生を送れるのだろうか。




よく考えてみてほしい。






勉強ができない、

勉強をしない、

そんな人たちが、



勉強できるやつを

憂さ晴らしで

からかったりいじめる対象を探す。





からかわれたり、

いじめられて、

何も言い返せない人間は

そんな学校へ行くことをやめる方がいい。




しかし、真面目な子どもは

学校へ行き続けて、

ずっと

いじめられ続けるのを我慢してしまう。






我慢できなくなった人は、

その辛さから逃避するために

最悪の結果を選択してしまうこともある…。






自ら死を選ぶ可能性があるとするならば、


学校は他者との関わりをもたせずに

一人で自分の好きなことだけをさせて

無難に生活させるようにすれば良いのであろうか?




このまま学校生活を送って「自殺する」かもしれない可能性が0.1%もあるならば、

その可能性を排除すればよいのか。






他者との交わりを避けてしまうことによって、

誰にも会わないことで

より不安定になってしまい、

自殺する可能性のある子どもたちが出る可能性はないのだろうか。






適度に学校生活を送らせて、

適度に学習させて、

卒業しさえしてくれれば

学校は

それで満足するのであろうか?





自ら死を選ぶ者をなくしたい。



他人をいじめる者もなくしたい。





どちらもなくしたいのが


学校という場の目指すところなのである。






「死」を選ぶより、

生きていた方が楽しいと思えることがなければ、


誰もが死を選ぶであろう。




なぜなら、

死が楽だからだ。






では、

教育現場で、

今いる教師が

生きていることの楽しみを

教えられるのか。







そこにいる教師が

彼らの周りにいる大人が


生きている楽しみを「教える」ことができなかったから、


彼らは死を選んでしまったのではないのだろうか。





生徒が自殺する、ということは、

今までその生徒に関わってきた人間たちに

生きている姿の魅力がなかったからだ、ともいえるのではないだろうか。




教師は、
教科を教えることだけが
仕事ではない。





人としての魅力や

生きていることの楽しみを

教科を超えて「伝えられなければ」、

教科を教える資格などないのだ。





それを、現在の教員採用をする各県の教育委員会や

文科省は

どう考えているのか。





能力がない

やる気がない教師を採用したり、



校長のコネにより

採用されたりしている現実が

今もあるのだ。





「世の中、そんなもんなんだ。

偉い奴のやることに、

いちいち文句は言うな!」




と、

私などは言われそうだ。



しかし、どこの都道府県も、

教員採用に関しては、

私たちの知らない力が働いている。





無能な教師が

ある特定の人物の力を借りて

教員採用試験に受かったり、

採用が決まったりすることがある。






それは、法的には

無罪なのかもしれないが、

明らかに

学校という現場から見たら


おかしいことがまかり通っているのが

現実なのである。






大人がそんなことをやっている
教育現場なのだから、

子どもたちがまともになるはずがない。






教育現場は、大人同士が

いがみあっている場の

「典型」なのだ。




一人の教師が

「それはおかしいだろ!」

と、声を上げることができない教育現場なのだから、


生徒の自殺やいじめがなくなることはない。




校長が好き勝手なことを

平の教員に押し付け、

おかしいことを強制的にやらされているような現場がある限り、

いじめはなくならない。





不条理のまかり通る
教育現場で、

生徒が、

子どもたちが、

純粋に育つことなど

ありえない。




「自己の利権に囚われている教師がいる学校」には、


まともな教育などあり得ないのである。








私は

不条理には

絶対に屈しない。





数々のパワハラや不条理などには、

断固として闘う覚悟はある。








そう言える教師がすべてではないことが

本当に残念でならない。






ただ、

今の現場は、

そういう教師を排除しようとする動きが

明らかに多いのが

現実なのだ。







子どもたちの

「いじめをなくす」には、

教員の質を上げることは第一だが



その教員たちが

「権威」や「組織」に

屈しない教育現場を作り上げることが

最重要課題なのだ。







まずは

教員同士の人間関係を

健全に保つ必要がある。







健全な人間関係を築くことができない

資質なきリーダーは、

現場から去らなければならない。