"信長は帰る前に、奥平貞昌を呼び出した。

今回の戦の最大の功労者であるとして、自らの名から「信」の文字を与えて諱を「信昌」と改めさせた。

家臣でもない者に偏諱を与えるのは異例という。




"家康も信昌が長篠城を守り抜いた事こそがこの戦の勝因であるとして名刀・大般若長光を与え、かつての約束通り娘の亀姫を嫁がせた。

それ以降も、酒井忠次の直属になり武田攻めや小牧長久手の戦いでも活躍し、関ヶ原の戦いまで家康に従軍する。



"だが、何の憂いもなく亀姫を迎えた訳ではない。

武田からの寝がりによって見殺しにしてしまった妻、おふうの事が喉に刺さった魚の骨の様に信昌の胸の奥で痛みとなってまだ残っていた。

おふう


"信昌は亀姫に初めて会ったその日に、心の内を全てを打ち明けた。

「私は今回の戦で徳川様にお味方する折に、人質に出していた妻と弟達を見殺しにしたろくでなしでございます。武家の定めとはいえ、ひどい事をしてしまいました。

こんな山奥の田舎侍の私にひと欠片でも不安がおありでしたら、このまま岡崎にお帰りになり良家とのご縁談をお望いただくのがよろしいでしょう…」

亀姫は大粒の涙を溢しながら、

「お顔を上げてください。おふう様、弟君の事は存じております。武家に生まれた者として、立派に御勤めをされたのでございます。私でもきっと同じ立場であれば、同じ選択をし同じ運命を辿った事でしょう。

何より貴方様は、我が父の恩人です。貴方様がいなければ徳川家は武田に滅ぼされ、更に多くの三河の民の血が流れた事でしょう。

そんな貴方様を誰が恨みましょうか。

父が決めた婚姻ではございますが、私は私の意思で嫁ぐと決めたのです。世間知らずではございますが、末永くよろしくお願いいたします」

「私は…あなたを見殺しにする事だけは、決していたしません…」

こうして結ばれた信昌と亀姫の間には、この後に4人の男子と1人の姫を授かった。

信昌は生涯側室を置くことはなく、死別するまで夫婦仲は円満だった。


長篠設楽原の戦いマップ