"この頃、水野信元の父・緒川の水野忠政は海を渡り刈谷までその勢力を伸ばしつつあった。
"当然、清康がそれを見逃すはずがない。
戦に発展し、清康が忠政を捩じ伏せる。
その講和条件に清康が求めたのは、忠政の側室・華陽院の譲渡だった。
美しい華陽院に清康は一目惚れだったと云われている。
忠政が華陽院を引き渡した事で刈谷を領地とする事を認められ、数年後に城を築いた。
衣浦湾の実権を手にした水野家は、大きく発展していく。
いや、凄い話だな😅
この時、華陽院は忠政との間に5人の子を産んでいる。
その内の1人は、於大の方と後に呼ばれる事になる女子。
はい、家康のお母さん、あの於大の方ですよ。
当然、その旦那さんは、清康の息子の広忠ですよ…。
ちょっと複雑になって来ました💧
於大は華陽院の産んだ娘ですが、広忠は清康の前妻との間の子ですからギリギリセーフですw
家康から見ると華陽院は、母方の祖母であり、父方の義祖母でもあります…。
そして華陽院は、清康との間に女子を授かりました。
名を碓井姫といいます。
長沢の松平政忠に嫁ぎましたが、桶狭間の戦いで今川義元の本陣にいて戦死。
未亡人となった後、酒井忠次に嫁ぎます。
あ!どうする家康に出てますね!!
女衆のまとめ役の!
そうすると酒井忠次は家康からは、どういう血縁関係になるのか…。
ちょっと訳がわからなくなってきたので、この辺りで…。
この華陽院、その後何度か結婚した後駿河に辿り着きます。
そこに人質としてやって来た幼い家康の母代わりとして、育て親になるのでした。