Out Siderと私17 | Mr.武士道がただぼやいてるだけですwwww

Mr.武士道がただぼやいてるだけですwwww

日頃の行い?いえ、やっつけ事です(`・ω・´)キリッこの日記は白黒ハッキリしません。お気を付け下さいw

 以前座長は6年半前くらいに「うちは過渡期を迎える。」と言っていた。駄菓子菓子、本当の過渡期を迎えるのはちょうど今なのだろうと思うのは私だけだろうか。今回のコラムではしばらくこの御陵一座、Out Siderを離れる園原百合愛に焦点を当てて綴ってみようと思う。早い話私のただの思い出話と言う昔話に浸ってしまう自己満足でしかならないのだが。なお、5年ほど前に本人の紹介を取り上げた記事があるけれどもこちらも参考に掲載致す↓

Out Siderと私3 | Mr.武士道がただぼやいてるだけですwwww (ameblo.jp)

 

 元来はOut Sider時代に入団した一人なのだが、当初は端役だったり人魚をやったり、、、イベント中雨だらけで雨女とも言われていたのだが、私の接近は夏の新舞子でのイベントから。その当時イベントのイメージキャラクター的な設定だったらしい。逢った瞬間からあいつ担当を3年近くやっていたんだろうな。早い話が、御陵一座がメインに変わる最末期の頃だったんじゃないかな。あの当時いろんな意味でガチになっていた私だった。あいつがきっかけで今の芝居屋との付き合いがここまで長くなろうとは私自身もあまり予想もしていなかったもんね。その時のツーショがあったけどあの時の撮影が座長だったんよな。しかしまぁ、その時に浮かぶ光景は今以上の熱気で熱かったことだろうな。その当時のイメージキャラクターとしてのブロマイドとCDは多分黒歴史そのものだと言っても過言ではない。これはあいつ自身も恥ずかしい気持ちでいっぱいだからであろう。あれっ?ツーショあったっけ?↓

DSC_0912.JPG

いかにもこの頃の私、太ってますなぁwwwwwwww今でもちょっとあるけど7,8キロくらいは痩せたよね(苦笑)

 

 その出逢いと同時に芝居屋のもう一つの顔、お化け屋敷の存在もここで知った。とはいえ、初めての段階であいつと連行でやったけどどうしてベリーハード扱いにされちゃうんだろうなwwwwww自分でも不思議なもんだったなwwwwwだけどあいつとの出逢いがなければ今がないし、何度も言うけど芝居屋稼業側の御贔屓の高い位置にいられなかっただろうね。まあでも結果として巷のウィルスのせいで、連行は出来なくなったのとベリーハードモードもできなくなったんだよな。今はまた連行とベリーハードモードが出来るようになったのかな?

 

 そして最も忘れてはいけないこと。今のあいつが突発的に撮影会が開かれるようになったけどその前身?の撮影会にもちゃっかり私もあいつ限定で参戦していたんだよな。実はおしおとはその時にご一緒していたというね。今思うとあいつホントにグロもとい、黒かったなぁ。。。。

 

 海での熱気が冷めやらぬうちにその当時海での出逢いを果たしていた鈴木重雄というぶっ飛んだ歌い手さんがいらっしゃっていたのだがそのステージにも出てくることが分かったのだが、それよりも前にえっ?ジャスコで舞踊ショー?というものを知って思わず飛んで行ったこともああ懐かしや。。。ちなみに鈴木と重雄の神隠しを大きくプロデュースしていたのは実はOut Siderなのである。そりゃぁどおりであいつも出てくるわけだよ。。。。点数のおねーさんがラムちゃんとは大声では言えねぇwwwww

DSC_0019.JPG DSC_0028.JPG

 そこからしばらく間が空くんだよな。半年以上だろう。そこへ、あいつからちくさ小劇場ででかい舞台をやるということを知ってわざわざ銭湯まで飛んで行ったんだよな。切符手に入れるために。そこで初めて芝居を見たんよな。瞼の母だっけな。座長の当たり役番場の忠太郎が母をたずねるお話だったよね。あれがなかったらきっと芝居に(ry その翌月でかい舞台を成功させたんだよな。アレ確か初日の後半のみのつもりが、二日目の昼間の舞台も観劇してしまうんだよなノリと勢いでwwwww

IMG_20160605_151042856.jpg IMG_20160605_151045549.jpg

 翌月Out Sider時代に座長たちがやたら世話になった鈴蘭南座が緞帳おろしを迎えそこから御陵一座が本格的な旗揚げとなった。何としてでも大衆演劇の絶やしてはいけないという座長の心意気を感じたのは言うまでもない。しかしここでも瞼の母をやっていたけど音しか聴こえなかった。まともに見ることが出来なくてずっと座長のおっかさんの相手をしていたことが今でも忘れられない。

IMG_20160710_155554314.jpg IMG_20160710_182317472.jpg

 旗揚げから三ヵ月ちょっとくらいか。恐らく本格的に芝居を見るようになったのはこの辺りからであろう。いやぁ、今思うとユースクエア公演とか懐かしいよね。公共の施設だから木戸銭なんて扱いじゃなかったんだもんな。物販ですら出来なかったことだろうに。この時に瞼の母以外の外題を徐々に覚えていくんだよな。この時は昼間と夕方で外題が変わるシステムだったな。

IMG_20161016_200612219.jpg IMG_20161016_200615059.jpg

 さらに翌年座長を囲む興行の中でその当時暫定で私が御贔屓首席を拝命を受けた回では、男女逆転!?において金を盗られてしまった?いやいや、金を置き忘れてしまった小間物問屋の手代を演じていたのである。もしも、男女逆転がなければどうなっていた?道楽と酒に明け暮れる父に嘆いて遊郭に行ってしまっていたに違いない。なお、この外題は昼間にあった外題で、夕方の外題は男臭い極みの三州。この外題で後に三吉というお調子者を演じることになるのは言うまでもない。

IMG_20170122_171701840.jpg IMG_20170122_212504903.jpg

その頃、自ら旗揚げをした座員が一本立ちをしようとして劇団を立ち上げたのだが、この時にも客演としてあいつは参戦していた。しかしながらその客演メインで来た者は果たして私以外にいたであろうか↓

IMG_20170219_155931344.jpg

 その翌月瀬戸での芝居でも展開。この時に初めて瀬戸というお膝元に上陸を果たした。この地でもその町の温かさを痛感しながら楽しんでいたんだろう。瀬戸では過去4回ほど見たけれどもお喧嘩以外はすべて瀬戸が初見作品だったか。

IMG_20170305_181913560.jpg IMG_20171008_185923950.jpgIMG_20171008_123808503.jpg IMG_20180128_110435304.jpg

 また瀬戸では芝居のみならずまねきねこ祭りにも参戦した経験がある。この時の座長の「なんであいつばっかり寄ってくるんだよ。。。」の一言が哀愁を感じたのは言うまでもないwwww

IMG_20170924_150057684.jpg IMG_20170924_135951065.jpg

そこからしばらく芝居から遠ざかってしまうんだよな。お化け屋敷にはちょっくら顔は出してはいたが、ここからもし年明けに動けなかったら私は今もこの世界にはいなかっただろう。気付いたら御贔屓二席(第二位)に転落していたようだ。だがこの時の座長からは「いくら二位に落ちてもおめぇはそれ以上は落ちねぇ」と言われたんだっけな。あーしまった。そういえばみなとイオンが在りし日にこんなことしていたんだよな↓

 

あいつの大ブレーク作もとい、最高傑作イヒ屋ねこ○である。ゆる怪談。いえいえ貞子ちゃんとのコントですwwww

 

だいぶこの辺りからまともに撮ることが減ったように思う。あいつ目当ての客がだいぶ大いに増えたのがきっかけであろうか。この辺りからだいぶ距離を置くようになったと思う。まぁ、そもそも一年あたりのブランクの間に私自身が担当を変わったこと(いわゆる推し変)もあったのだけどね。そこからたぶんやたら接近も大幅に減っただろうな。まぁ、個人的に撮れ高が良かったショットを以下挙げておく↓

  

  

 

 

   

まあこんな感じかねぇ。個人的に取り上げるとしたら。いかにも後半部分になってくると担降りした所で撮る姿勢もガサツになっているのがよーく分かるよな。ちゃんとまともに撮れる人とか素直に心から応援する人がちゃんと撮ればいいという感じになってしまっているな。間違いない。推しとしての愛が冷めると態度に出るというのはこういうことなんだろうか。あまり良くないことは分かっているのだが。

 

まぁ、とにもかくにも私が言えることはもうね。心からあいつを慕い、愛したものがみんな言ってくれているからあまりいうモノではないけどね。しかしながら私からこう言わせて頂きたい。

 

いくら年季を三年と決めたとはいえども、汝がそこで納得するまでは例え三年だとしても納得できないならば帰ってくるな。汝ほど貪欲な姿勢をある者は右にも左にもいないと私は思うから。確かにあいつは繊細な所はある。だけどそれ以上に貪欲で図太いはず。とことん突き詰めて突き進むはずだ。三年ではきっと足りないだろう。納得するまで極めて来い!!そして今のみんなを驚かせて帰って来い!!

 

とまぁ、ここまで書いたらこうなるけどそれで良いよね。