江戸時代の戦闘要員である武士の数は30万で人口の1%でした。

これはほぼ今の陸海空の自衛隊員に匹敵します。

武士の家族と卒族(雇用員)を含めると5倍の150万人となります。

人口2700万人に対する防衛要員としては多すぎる人数ではないでしょうか?

彼らは日夜武芸に励むことが仕事であり学問にも励みました。



武芸上達には禅や儒学の素養が必要なことを理解していたからでしょう。


また、このような求道的姿勢が江戸開府以来260年の間、人口の5%も非生産者が存在できた理由であり、農民や商工業者が武家階級に対してある種尊敬の念を持っていたことがうかがえます。

要するに武士は憧れの的であったわけです。





古代宗教である神道は死を忌み自己を神の領域に高めることを目標としました。

禅は精神と肉体は一体であると説き、肉体が死ぬと精神も消滅すると説きます。

死生観において神道と禅は結びつきやすく禅は武士に好まれました。

幕末の三舟と呼ばれた勝海舟山岡鉄舟高橋泥舟は明治維新を実質的に成功させた幕臣です。

○山岡鉄舟
鉄舟

○勝海舟
海舟


○高橋泥
泥舟



海舟は直心影流、鉄舟は一刀流(北辰一刀流中西派一刀流)、泥舟は自得院流槍術の皆伝でした。

彼らは剣術と禅の修業を同時に修めた若者たちでした。

三舟が江戸無血開城や渡米使節団、慶吉公のブレーンなどそれぞれに優れた働きをなしえたのは剣禅一如の体得によるところが大きかったでしょう。


鎌倉円覚寺管長今北洪川禅師(鈴木大拙の師)が彼らを指導していたようです。


 幕末の人間像には腕力と行動力に富むが情緒的である者と、冷静で胆力があり、迷信や神秘を認めず真実を探求する者に分かれました。


幕臣や薩長の攘夷派でも大きな働きをした者は真実の探求者であり、禅の理解者であるという共通点があります。

山岡鉄舟は維新後、中江兆民らとともに今北禅師を請い人間禅教団を創設し、現在もその活動は続いています。(http://www.ningenzen.org/)


 
道元禅師の「生を明らめ師を明きらむるは仏家一大事の因縁なり」を無外流では「剣者は生を明らめ死を明らめなければ刀を以って相対することができない」として剣禅一如を説く。

伝書にも「無外真伝の剣法は禅理を以て教導するところ云々」と記し、禅理を修めた者のみに允可を授けようです。
 

無外流は剣術といわず剣法、兵法、兵道と称したようです。


兵道は刺撃の法を伝えず、武道の正理を求めるもので文武合一を要としました。


国の有り様にまで思いをめぐらせるのが修行者ということであったようです。

 なお、無外流居合は正確には自鏡流居合であるが無外流の指南が代々自鏡流居合の指導をしていたので江戸時代には無外流の居合と称していた。

自鏡流の居合はすぐれたものであり、無外流として新しい居合を作り出す必要もなかったと考えられます。


伝書の難解な禅理の解明には無外流の中川士龍師と大森曹玄師が共同で行ったようです。


参考資料 山本安衛門 所蔵 資料より

画像引用 ウィキペディア 







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