新選組の強みは剣術に表れていました。
天然理心流は近藤勇局長や土方歳三。
○近藤勇
○土方歳三
無外流は斎藤一。(山口一刀流とも)
北辰一刀流は勤皇の坂本龍馬。
明治の兜割りで有名な榊原健吉は直心影流の使い手でした。
剣術は後に剣道に発展していきますが、その激しさたるや並大抵ではなかったようです。
重い木刀での型稽古が主であるが、互いに打ち合いは20本以上が当たり前で順番が決まっているようで変幻自在、失敗すれば大怪我をするので体に当たる前に寸止めという技を使います。
真剣でも寸止めが出来ないと切り下げから切り上げという必殺技が使えません。
剣術は体力と胆力それに先を読む眼力が要求されます。
これらを身につけた新選組の若者が実戦で強かったのも当然であったとおもいます。
なにしろこの時代はいくら江戸時代といえど平和が続き、剣術は形骸化しつつありました。
対して居合いは静の動作が主で初発刀、つまり抜き打ちの一刀で勝負が決まります。
鞘から飛び出す刀身の速さが早いほどその威力も大きい。
半月型の切っ先が人体の凸部は深く、凹部は浅く切り裂いて致命傷になります。
福沢諭吉や井伊直弼は真剣を操る名人であったようです。
○福沢諭吉
○井伊直弼
直弼は部屋住み時代から居合いを好み、達人の域にあったことで知られています。
大老となり友人から護身用にもらった短銃も飛び道具は士分にふさわしからずといって常に携帯しなかったようです。
桜田門外で不覚をとった一因でもあるかもしれません。
水戸浪士も居合いの怖さを知っていたため駕籠の外から直弼を銃撃してから斬りつけたようです。
立身新流の使い手であった福沢諭吉は自伝で真剣勝負について述べています。
「開国派の論客として攘夷派に狙われた諭吉は夜道を歩くことを避けていたが、ある日、友人との会合で遅くなってしまった。
狭い路地を進んでいくと前方に人影が見えた。
二本差しの武士である。こちらが止まると先方もとまる。右に寄れば相手も右に寄る。
つまり抜き打ちの体勢である。相手が柄に手をかけたらすれ違いざまに胴を払ってやろうと覚悟を決め、どんどん歩くことにした。相手も同じように歩いてくる。
諭吉は恐怖のあまり、すれ違いざまに前方に飛ぶや全力で駆け抜けた。
抜き打ちの間がつかめなかったのである。
後方を見ると自分と同じように駆け抜けて息を切らしている相手がこちらを見ていた。
後年諭吉は腕が互角であると同じ戦術を使うものだと述壊し、当時の相手が健在ならば会ってみたいものだ、ことある毎に語っていたそうです。
福沢諭吉の体験談は他にも色々残っていますが、どれもゾッとする話ばかりです。
稽古をする時は竹刀や木刀ですが真剣での勝負を常に考えてここぞという時にしっかりとした動きが出来る様に体に染みつかせておきたいものです。
昔と違い今は多忙な日々を過ごす現代人ですが、少しでも武の達人の域に近づける様に武士らしくある為に皆さんも頑張って研究、稽古致しましょう。
参考資料 日本古流武術礼法稽古会 資料
ウィキペディア
稽古会HP(仮)https://www.facebook.com/shinkage.reihou
連絡先 bushi.reihou①gmail.com ①を@にしてご送信下さい。
◎刀の手入れ油(丁子油、帆布竹刀の注文はこちら)
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※注文の際は「髙島からの紹介」と伝えますと話しがスムーズです。
天然理心流は近藤勇局長や土方歳三。
○近藤勇
○土方歳三
無外流は斎藤一。(山口一刀流とも)
北辰一刀流は勤皇の坂本龍馬。
明治の兜割りで有名な榊原健吉は直心影流の使い手でした。
剣術は後に剣道に発展していきますが、その激しさたるや並大抵ではなかったようです。
重い木刀での型稽古が主であるが、互いに打ち合いは20本以上が当たり前で順番が決まっているようで変幻自在、失敗すれば大怪我をするので体に当たる前に寸止めという技を使います。
真剣でも寸止めが出来ないと切り下げから切り上げという必殺技が使えません。
剣術は体力と胆力それに先を読む眼力が要求されます。
これらを身につけた新選組の若者が実戦で強かったのも当然であったとおもいます。
なにしろこの時代はいくら江戸時代といえど平和が続き、剣術は形骸化しつつありました。
対して居合いは静の動作が主で初発刀、つまり抜き打ちの一刀で勝負が決まります。
鞘から飛び出す刀身の速さが早いほどその威力も大きい。
半月型の切っ先が人体の凸部は深く、凹部は浅く切り裂いて致命傷になります。
福沢諭吉や井伊直弼は真剣を操る名人であったようです。
○福沢諭吉
○井伊直弼
直弼は部屋住み時代から居合いを好み、達人の域にあったことで知られています。
大老となり友人から護身用にもらった短銃も飛び道具は士分にふさわしからずといって常に携帯しなかったようです。
桜田門外で不覚をとった一因でもあるかもしれません。
水戸浪士も居合いの怖さを知っていたため駕籠の外から直弼を銃撃してから斬りつけたようです。
立身新流の使い手であった福沢諭吉は自伝で真剣勝負について述べています。
「開国派の論客として攘夷派に狙われた諭吉は夜道を歩くことを避けていたが、ある日、友人との会合で遅くなってしまった。
狭い路地を進んでいくと前方に人影が見えた。
二本差しの武士である。こちらが止まると先方もとまる。右に寄れば相手も右に寄る。
つまり抜き打ちの体勢である。相手が柄に手をかけたらすれ違いざまに胴を払ってやろうと覚悟を決め、どんどん歩くことにした。相手も同じように歩いてくる。
諭吉は恐怖のあまり、すれ違いざまに前方に飛ぶや全力で駆け抜けた。
抜き打ちの間がつかめなかったのである。
後方を見ると自分と同じように駆け抜けて息を切らしている相手がこちらを見ていた。
後年諭吉は腕が互角であると同じ戦術を使うものだと述壊し、当時の相手が健在ならば会ってみたいものだ、ことある毎に語っていたそうです。
福沢諭吉の体験談は他にも色々残っていますが、どれもゾッとする話ばかりです。
稽古をする時は竹刀や木刀ですが真剣での勝負を常に考えてここぞという時にしっかりとした動きが出来る様に体に染みつかせておきたいものです。
昔と違い今は多忙な日々を過ごす現代人ですが、少しでも武の達人の域に近づける様に武士らしくある為に皆さんも頑張って研究、稽古致しましょう。
参考資料 日本古流武術礼法稽古会 資料
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