昭和30年代は日本の風俗が急速に近代化した時代です。


幕末の衣食住は八割方が明治、大正まで残り徐々に欧米化されつつ昭和30年代で終焉を遂げました。


明治新政府は高位の官職者は衣服に関して洋装をもって正装とするよう定めたようです。


だから明治政府の代表人物である大久保利通の肖像画は洋装が多いのはそのためでしょう。




皇室は今でも一貫して公式行事は洋装です。


武士の帯刀や髷も禁止され軍人や巡査もサーベルを佩用しました。但し中身はれっきとした日本刀であったようです。
 


一方民間では男女ともに和装が主流で洋装は定着しなかった様です。


これは主として経済的理由が大きいのでしょう。


今の日本のような状態ではなかったでしょうから、貧富の差も今よりあったようですし、今より洋服は貴重なものだったのです。


着物の材料である木綿や絹は高価なものではなく直線縫いの単純な仕組みであり、仕立て直しも簡単で耐久性に優れていたのです。


現在でも明治大正期の和服のストックは膨大なものがあり、高級な絹素材として欧米へ輸出されています。



戦後はデユポン社を筆頭に化学繊維の開発が急速に進みました。


日本は化繊の市場としては未開拓であり、欧米資本が政府に福井、長野、茨城などの綿織物産地を壊滅させるように巧妙に外圧をかけた結果、我が国伝統の着物文化とともに凛とした日本人の意識まで滅ぼされたということになりました。


米国の占領政策最大の眼目は欧米を凌ぐ異文化の壊滅にあったのです。
 

武士の日常着であった紋付袴に白足袋姿は幕末に庶民にも定着し、男子の第一礼装として現在に受け継がれています。


着物の礼式上最高位は羽二重です。


紋付き


羽二重の生地は繭玉から直接引きした糸で織ります。

感触は高級なポリエステル繊維より数倍よいとおもいます。


紋付きに使用するほか高級な襦袢地として着物の下に着ます。


二番目にお召


三番目が紬の無地


四番目が紬の模様とつづく。


お召

お召




紬



 
絣




紬は繭玉から絹綿を手で紡いだ糸で織ります。


糸の継ぎ目が太くなり、織り上げた際に布地に凹凸ができ渋みをだします。

凹凸があるため摩擦に強く武家に好まれました。


現在結城紬は最高級品として軽四車輪一台分の価値を持ちます。

もとは屑綿を再利用した庶民の着物であったのです。
 

襟を正すという言葉は着物を着る時の鉄則であり、武家は常に姿勢を正し、袴の腿立ち(左右の割れ目)から手を差し込んで着物の褄先を引っ張り襟の崩れを直していました。

常時着崩れをしていると士道不覚悟と軽蔑され武士扱いをされなかったようです。


ですから武士らしくある為には常に着物をきっちり着ることからはじめたら良いかもしれませんね。


バイオと養蚕
 
養蚕業は世界に例を見ません。品質が均質で質も良く、タイやインド産は天然のため質がよくありません。

近年バイオへの貢献度が高く医療や高機能繊維に貢献しています。


蚕はヒト蛋白に近く再生医療にも期待されています。






参考文献  山本安衛門 所蔵資料 ウィキペディア

画像引用  http://www.akariya2.com/kimono2010-5-4.html
      ウィキペディア







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