2011年の3.11が余りにも強烈で、
私達の暮らしも、意識も、価値観もまるっと変えてしまうほどの大きな出来事だったのは、きっと、日本人なら同じ共通の意識で、私はその前の1月、2月の記憶がとても薄いものになってしまっています。
発生から10ヶ月を過ぎた今もなお、決して「過去の出来事」にはならず、むしろ、東北に住む方々にとっては復興という名の戦果のまっただ中にいる。
この先も、ただの過去の出来事にはしてはいけない、とも思います。
人の記憶というものは、とても都合よくできていて、
時間とともにいろんなものを「忘れ」てしまいます。
それは時が経てば経つほど、どんどん間引かれていって、数年後に今を思い出してみたときに、
出てくるものなんてほとんどなくて。
よほど大きな印象を持っているものでないと、頭の中には残ってくれない。
より、強い刺激のあるものほど、脳のメモリーに残されていきます。
それは自然なことだけど、だからって、忘れてはいけないものが、この世にはあると思うんです。
それは意図的に、覚えていなくてはいけないとさえ思います。
今日で、阪神大震災から17年目です。
幸運なことに私は関東在住で、当時被災したわけでもなんでもない。
それでも、当時小学校6年生だった私には、連日の報道がかなりのインパクトで、街がこんなに簡単に崩壊してしまうのかと、もう二度とこの街は人が住めないんじゃないかとまで思いました。
その報道で伝わるものが、すさまじかった。
いつか、こんな大きな地震が関東に来たらどうしようと、布団の中で寝れなかった日々もじつは数日あった、怖がり談もあります。
今回、3.11の復興がなかなか進まず、ここ関東にも少なからず電力不足などの影響がある中で、
もちろん、東北を応援する気持ちを常に持っています。
16年経った先にこんな大きな災害が再び日本列島を襲うとはだれも想像できなかったけど、
1995年の1月17日を忘れずに、日本が頑張ってきたからこそ活きている支援が、あると私は思います。
水道の蛇口が、あの震災を機に、開閉が上下逆になったことも、地震速報の警報も、直接的にそれが何を防いだといわれれば難しいですが、防災意識を高めることに貢献していると私は思います。
ここで、最初の論点。
それも時が経てば、忘れてしまうと。
どれだけ防災の意識が大事であるか、備えが大事か。
その時の緊張感はどんどん忘れ去られていきます。
だからこそ、こういう節にその日を振り返ることが大事だと、私は思っています。
自然災害は、神様が人間を間引くために起こすのかもしれない
大学生の時に、ふと、こんな不謹慎なことを考えたことがありました。
被災された方が聞いたら、どんなに心境悪くされるか。
申し訳ありませんでした。
何で起こるかなんて、人間が考えても仕方のないこと。
目に見えないものの存在を想像しても、犠牲者は浮かばれないしね。
ただ、私たちができることは小さなことで、その積み重ねだったり、忘れない意識が一番大事なのではないかと思います。
3.11後に1.17を想う。
どちらも、忘れてはいけない、みんなの経験なんだと思います。
経験値として、ためていかなきゃいけないですね。
悲劇は時に、忘れることも大事だけど、
大切なものは忘れずに心の中に。
両震災の犠牲者の方のご冥福をお祈りして。
ちょっとまじめな記事でした。
家族で健康に暮らせていることに感謝♥