片方の手の中を選ぶことを決めたなら、もう片方の手の中にあるものを気にしてはいけない。
もう片方の手の中に何があろうとも、もう選んでしまった後は関係ないのだから。
もう片方の手の中を気にする役目は神様の役目。
人間の役目ではないんだ。
たとえもう片方の手の中のほうが良い結果があったとしてもそれを私たちが知る必要は無い。
だって、そんなの、選んだ後からはどうしようもないのだから。
―相当言葉を変えちゃったけど、言ってることはあってると思う。
でもこれって正しいよね。
ひぐらしの中ではね、梨花が飴の入ってるレナの手を選んで見事に1つ、飴玉が入ってるほうを当てた。
レナが「美味しい?」と尋ねると梨花は「勝利の美酒は美味しいのですよ」と答えた。
「ほんとにそう思う?」―レナがそう言ってもう片方の手の中を開いて見せた。
飴玉は2つあった。
梨花は片方は何も無いものと思い込んでいた。
レナはそんな梨花に「もっと良いこともあったのかもしれない」ということがあることを教えたんだ。
これはホントにありえる話だと俺は思うんだ。
たとえば。
それこそどーでも良い話だけど友達と遊びに行く時に遊びに行く前の日は雨でその日は曇りだった。
でも次の日は晴れていた、なんて典型的だよね。
パッといい例えが出てこないけどそういう話なんだと思う。
どんなことがあって失敗しても成功しても何かある度に「ああしていたらどうなってただろう」とか
「ああしていれば良かった」なんて考えるのは野暮なんだよ、きっと。
でもやっぱり人はどうしても考えてしまう。だからこれは希望。
こうして行けたらいいなと思い、考える希望。
実現できる夢。それが希望。
―まあこんな感じで記事を書いて行けたらいいな、と思っています。
みんなにとっては重い話になることもあるかもしれないけど自己満足の範疇なんで許してください。。
では、おやすみなさい。