つい愚痴を言いたくなることがある。
それはどんなときか頭が冷えた段階で客観的に考えてみた。

理由の一つとして
本当に困っていないから」が挙げられると思う。
もっと言えば
(他人を頼りにするなどして)「当事者のこととして問題を捉えていない
のではないかと。

本当に困ったなら、きちんと自分の課題と捉え、手を尽くすと思う。
だからきっと真剣に困っていないのだ。
本当に自分の課題と捉えた人は(ネット・文献問わず)調べ物をするとしても
その執筆者(ヒントをくれる人)を責めることはしないのではないか。

その人固有の課題を乗り越えるのは、本人の自助努力の他は無い

俺にとって自走している人(アクティブな人)のイメージとして
活き活きとして自分の未知をひた走ってる」事が挙げられるように思う。
逆の人は「他者に依存」している様な印象を持っている。

失敗も成功も、そのスタートもゴールさえも主役は自分として捉えPDCAを回すような人は
「終始自分ありき」のように思う。
それはあたかも自分を人生の主役にしているよう。
そこに他者依存の要素は少ない。
(その意味で他人の所為にするのは、自分を人生の主役にさせないという意味で良くないと反省した。良いオトナが自立できていないのだ。)

その成功度合いや社会的地位に関係なく、活き活きしている人は「自分の生き方」を可能な限り追求している人(例えば昼食に何を食べるかなど些細な決断(?)ですらきちんと選択するだろう)であり、(ことある毎に愚痴を言うなど)陰々滅々としている人は「他者に依存」している割合の高い人、と思われる。

余談になるが、例えば愚痴る友人知人に対して「こうした方が良いよ」と
憎まれるのを覚悟で他社目線でその原因と対策を指摘したとして、
当の本人が直そうと思わない場合があっても仕方がない。
もちろんその人が「実行する」ということはまずできない
それは本人が「本気で自分の課題と捉え」ていないからだろう。
(もちろんいきなり100%を狙うのではなく手法として
「エレファントテクニック」や「セブン・ステップ法」を用いて…
というテクニックを活用するとして・・・)
だから、下手な手助けは時間の無駄となるのだろう・・・残念ながら(´・ω・`)

それが周りの人間を不幸にするからこそ(嫌われるのを覚悟で)言ったアドバイスにしても、
本人がその自覚がない場合はどうしようもない。
けれど、それは本人の「生き方」の問題であり、関係者としてはとてももどかしいが…
仕方ないのかもしれない

猛省して、もう少し愚痴を(他人に言うとか言わないとか関係なく)呟きたくなる回数
(要は腹を立てる回数)を激減させる必要があると少し反省をした今日この頃。。。。