うつになる・ならないに関係なく、人が苦しむのはアンビバレンツな戦いがあるからかと思う。

理性と本能、理想と現実、弱い自分と強がりたい自分…

自分自身を受け入れたとき、人は大きく成長できると思う。それがない限り、いつまで経っても、「幸せ」になれないと思う。

ある人の本にこんな感じで書かれていて、ハッとしたのでその文章を紹介したい。
「パワハラやセクハラは本人の好き嫌いが決める」「だから好き嫌いが激しければパワハラやセクハラを受ける可能性は高まる」「なお、パワハラ、セクハラと言う人は大抵被害妄想気味・自意識過剰だ」と。

つまり(本格的なものはさておき)グレーなものや実はほぼ白なものにさえ神経過敏になってしまっている。どう受け取るかは、今の自分の心身の状態に大きく左右されてしてしまうのだ、と俺は受け止めた。

逆に、心が統一(他人がどうあれ、自分は自分なのだとか)されていたり自己受容できたりしていれば、被害者意識は矮小化されるのではないか、と。今の自分は、本来+-両方あるもののマイナスだけを過敏にわざわざ受け取りやすい心身になってしまっていないか、と。もし自分に自信あれば、セクハラもパワハラも矮小化出来るのではないか、と。
(もちろん程度問題ですが…)

それはパワハラやセクハラに止まらず、普段のコミュニケーションも同じこと。

結局…

自信が持てないうちは、自分で自分の幸せを拒否してしまっているのではないか、と。

そして自信とは、きっと、他者からの評価でなく、絶対的な自分への信頼のことなのだと。

うつになった人は、きっと理想と現実のギャップで苦しんだはず。それを良い機会として、本当の意味で自分への自信をつけることが必要だと体で分かると思う。
そこから這い上がろうとするときに、自分にとっての幸せが何なのかが見えてくる気がしてならない。