有名な「神は死んだ」で同じみのドイツの哲学者ニーチェ。
奴隷道徳・超人・永劫回帰などの言葉を生んだので有名です。
キリスト教道徳はユダヤの生んだ「弱者の道徳」だとし、
「強者の道徳」こそ世界を支配する本当の原理とします。
ニーチェの師匠は、ショーペンハウエルです。
ショーペンハウエルの「生への盲目的意志」は、
ニーチェによって「力への意志」に変わった。
ニヒリズムを克服する過程で「超人」こそ生き残る手段なのだ。
「永劫に回帰する現実存在」の思想は難解で実存主義の奥義になっています。
この記事は私の個人的な研究のために作っています。
ニーチェの思想は、仏教的な「輪廻転生」「仏陀(覚者)」と通じるものが有り、
日本人に人気が有ります。しかし「輪廻転生」と「永劫回帰」とは意味が違います。
生死を繰り返して生まれ変わるのが「輪廻転生」で、永遠に繰り返すのが「永劫回帰」です。「仏陀」は悟りを開いた者で、「超人」はニヒリズムを克服した者です。
実存主義とは、神とか、天国とか、地獄とか、魂とか、愛とか、目に見えず、有るか、無いか、分からないもの(背後世界)を問題にするのではなく、現実に存在する、人間とか、物(実存世界)を問題にするある種の唯物論思想です。
世界は「力」が支配しています。「弱肉強食」こそが地球の真理なのです。
「腕力」「能力」「権力」「財力」「軍事力」が世界を支配しています。
例えばライオンがシマウマを殺して食べました。ライオンは「悪」でしょうか?
残酷な自然の掟には、人間の作った「道徳」などは通用しません。
人間の資本主義社会も、「弱肉強食」の掟が支配しています。
強くなければ、「生存競争」に生き残れないのです。
だから、キリスト教などの宗教・道徳は「弱者の道徳」なのです。
弱い者が強い者を妬み、逆恨みして、善悪をでっち上げているだけなのです。
もし神が人間を作ったのではなく人間が神を作ったとしたら、どうでしょうか?
弱い人間が強い人間に対抗するために、神を作り道徳を作ったとしたら?
弱い者が「善」であり、強い者が「悪」とされてしまい、
やられても、泣き寝入りする事が美徳とされるでしょう?
- 強者の特質(富、権力、強さ、誇り)=「悪」「罪深いこと」
- 弱者の特質(貧しさ、従順、謙虚、無抵抗)=「善」「神に愛されること」
ニーチェはこれを「奴隷道徳」と呼び、その最大の結晶がキリスト教であるとし、
本来の価値観を反転させて強者を悪者に仕立て上げる論理が宗教なのだとしました。
肉食を否定するビーガンもそうです。
動物を殺して食べるのは悪だと主張します。
菜食主義の仏教の殺生を禁ずる教えに通じるものがあります。
インドの独立の父、ガンジーの非暴力主義もこれです。
キリスト教は弱者の味方として、仏教はこの世から逃れる方法として成立しました。
この通り、宗教とは自然の掟に逆らって人間の掟として作られたのです。
「法律」も、人間が後から作ったでっち上げに過ぎません。
だから、弱者は「法律」で守られているのです。自然の掟とは違います。
借金まみれの貧乏人を救い出す自己破産制度がこれです。
強いはずの債権者に弱いはずの債務者が合法的に借金を踏み倒して正当化する制度。
これほど不条理な制度は有りません。この法律も西洋のキリスト教から来ています。
しかし人間は弱い者で一人では生きて行けません。集団生活が必要です。
その集団生活をしやすくするために宗教を作り、法律が作られたのです。
その中で、強い者が弱い者を守って集団で栄えて来ました。
国家間も、権力・経済力・軍事力こそ世界を支配する「力」です。
そもそも「善」とか「悪」とかの観念は、立場によって逆転します。
世の中には、「強者の道徳」と「弱者の道徳」が有ります。
絶対的な「善」「悪」など存在しないのです。これが、ニヒリズムです。
全ての生命現象には、強くなりたいと言う「力への意志」が働いています。
出生の秘密(強い精子が弱い精子を打ち負かせて卵子に到達する)も同じです。
強いオスが弱いオスを差し置いてメスを獲得し、子孫を残すのが自然の掟です。
世界のすべては「力」への意志を持って生まれて来ています。
強い者が「善」であり、弱い者は「悪」なのです。
金持ちが「善」であり、貧乏人は「悪」なのです。
ここでは道徳観念が完全に、ひっくり返ります。
ニーチェは極めてマッチョな思想です。
実例として、かつての欧米列強の植民地主義にキリスト教は利用されていました。
まずキリスト教の宣教師を派遣して民衆を洗脳し、それから植民地化する方法を取っていたのです。
フィリピンなどは良い例です。南洋の原住民が全員キリスト教徒になっています。
日本にキリスト教が根付かなったのは、武家政権によるキリシタン・バテレン追放令を出したからです。
もし日本がキリスト教国になっていたら今頃、外国の植民地になっていたことでしょう。
征服者はキリスト教で相手を弱体化させておいて、力で植民地化しているのです。
かつてのローマ帝国のキリスト教国教化も民衆を弱体化して支配するためです。
この通り、キリスト教は弱者の奴隷道徳なのです。弱い者の味方です。
強者はキリスト教を利用して弱者を支配して来ました。
ニーチェは、その事を見抜いていたのです。
個人的には、自分の弱さを克服する「超人」こそ目指すべきものです。
私は昔から何故、貧乏籤(くじ)ばかり引かされるのか? 疑問でした。
それは自分の弱さから来ていたのです。もっと強くならなければならないのです。
「汝、右の頬を打たれれば左をも向けよ。」そんな負け犬根性ではなく、
やられたら倍にして、やり返せ。 最後は「力」関係なのです。
男なら泣き寝入りするのは止めろ! 女々し過ぎるぞ!
弱かったから負けたのです。それを素直に認めて「自己肯定」します。
それには、欲望を肯定する事から始めなければなりません。
キリスト教的な禁欲主義を排し、生の欲望を解禁するのです。
人間、永く生きていれば過去を振り返って後悔する事が一杯有ります。
そこには、一定の法則・周期が有る事に気付かされるのです。
人生とは、同じ事の繰り返し(永劫回帰=無限に続くループ)なのです。
そうか、ではもう一度やってみよう。 二度と同じ過ちは繰り返さない。
今度は、もっと強くなって復讐してやるのです。
私をいじめて大損させた奴らを、やっつけてやるのです。
「永劫回帰」する「力への意志」が生命の本質です。
そして自分の人生を、良い事も悪い事も全部含めて「肯定」してやるのです。
自分の運命を愛する「運命愛」です。
それが、ニーチェの実存主義の思想です。
今こそ、新しい生き方「哲学」が必要な時代なのです。
ニーチェが結婚したかった永遠の恋人・ザロメ。
素人童貞のニーチェは売春婦から梅毒をもらい脳梅毒で発狂したと言われています。
ニーチェの思想は現代の状況の分析に役に立ちます。
世界の大金持ちの支配者と、貧乏人の被支配者・民衆との関係です。
ニーチェの哲学では、「強者の道徳」と「弱者の道徳」が有ると言いました。
例えば、大金持ちのビル・ゲイツは慈善事業で感染症予防のワクチンをWHOを使って広めて益々、お金を儲けようとしています。
表向きではワクチンは感染症の予防に効果が有るからドンドン打てと言っています。
実はワクチンの本当の目的は「人口削減」なのです。
民衆の免疫力を低下させて早死にさせ、不妊にして人口を減らすのが目的です。
世界は「善意」の仮面を被った「悪意」が支配しています。
世界の支配者にとって世界人口が増える事は不都合なので、何とか減らさなければなりません。
「人口削減」と言う殺人行為が正当化される。それが「強者の道徳」なのです。
この通りに「善」・「悪」の価値観は、立場によって逆転するのです。
ニーチェの「永劫回帰」の思想とは?
一瞬一瞬を生きる。どんな仕事でもやり遂げること。
明日に何も残すな。先延ばしにする習慣は自殺行為だ。
明日はどこにある? あるのは今日だけ。
今あるものに、今がある。
その瞬間を生きなければならない。 その瞬間だけが現実なのだ。
その瞬間を生きることができる者は永遠に到達する。
生きた瞬間は永遠になる。
生きられないとき永遠は、はかないものである。
時間は何処からやって来るのか?
キリスト教や仏教では時間は、過去~現在~未来へと流れている。
現世の苦しみは死後、天国に行って永遠の命を得るのが目的。
キリスト教では人は死後最後の審判を受けて、天国行か地獄行か決まる。
仏教では、生・老・病・死を繰り返し天上界~地獄界を輪廻転生する。
今を犠牲にして未来を目指す生き方だ。
実存哲学では時間は、未来~現在~過去へと流れる。
時間は、未だ来ぬ未来からやって来る。
量子力学的な引き寄せの法則によれば、未来は現実になる。
未来への波動は、現実の粒子に変わる。
過去は変える事が出来ないが、、未来は変える事が出来る。
人間は未来を志向して生きる。未来はやがて現実になる。
悪い過去も、良い過去に変える事が出来る。
強く思い続ける事は、いつか必ず実現する。
永劫回帰とは、今を永遠の繰り返しに帰す事。
これは一種の悟りの境地である。


