私の認識では、
マンガ原作のテレビドラマで、原作者の意図しない内容の脚本になった為に揉めて最後のほうは原作者が脚本を書く羽目に、
その顛末をポストしたところ脚本家批判が起こり原作者が責任を感じて……死亡?
という感じですが。
原作者に同情的なリアクション、脚本家批判を多く見かける。
原作者と脚本家の間に入ってるポジションや契約に、今回に限らず恒常的に問題があるのだとする一歩引いたコメントもある。
脚本家への一方的な批判は良くないとするヒートアップをたしなめる注意喚起もある。
記事の論調が『原作者の悲劇』みたいに傾いているので、リアクションもそれに引っ張られているようだ。
原作者が映像化に際して『聞いてないよぉ』と怒ることは今までもよくあった。
今回はそこから原作者がどう思ってしまったのか?逆バッシングでも受けたのか?
最悪の選択は思いとどまって欲しかったとしか言いようがない。
マンガの映像化でがっかりというパターンはよくある。
むしろ、 まぁまぁ良い出来・想像以上な出来栄えということはほとんどない。
だから原作者は、映像化なんて嫌なら断れば良い!
というわけにはいかないんでしょ?
権利が掲載誌の出版社にあって、出版社は原作の2次利用ができる契約になっているんでしょ?
よく知らんけど。
2次利用に際して出版社は原作者に対して気を遣うんだろうが、
映像化の関係者一堂の圧力や力関係が大きいので、原作者の意向が伝わりきらないことになる
んでしょ?
原作者が大御所であれば、原作者の意向はガッツリ通るんでしょうけど。
他人事としての私の所感は、
原作者のファンは原作者の思いを分かってくれていることを肝に銘じろ
映像化されてそれが原作と別物だとしても原作が消えたり霞んだりすることはない
つまり
2次利用には入れ込むな!
それが原作者のメンタルヘルスだ
と言いたい。
興奮したファンが、今後映像化には原作ファンのプロデューサーを起用せよ!と息巻いたコメントをしているが、
落ち着きなさい。
映像プロデューサーはそんな呑気な職種じゃ無いんだから。
世の中には付加価値という概念がある。
付加価値のために人は時にトンチンカンなこともしでかす。
が仕方ないことだ。
誰しも懸命にビジネス社会を泳いでいる。
脚本家、
本件で本作の脚本家が原作クラッシャー呼ばわりされている。過去作でもクラッシャーぶりを発揮したと言われている。
が、
この脚本家はポッと出の脚本家じゃ無いようだ。実績がかなりある。
それはニーズがあり応えている証左でもある。
不評は少数派を取り上げていることも多い。
この脚本家のファンの意見も聞かないとクラッシャー呼ばわりは偏見かもしれない。
最後に
映像化も逆にノベライズも
原作やオリジナル映像に勝ることは少ない。
人は最初にインプットされたイメージが強く残る。
関係無いが
舞台化ってその点は原作と3次元を繋ぐにはけっこう良さげな手段と感じる。
少しずつ手直しをして
演者が演技力で埋めて