歌会始 | 日々是好日

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日常で思うことを書きます。

毎年今頃『歌会始め』のニュースが流れる。

今年のニュースでは、雅子様と秋篠宮様の歌が流れた。

不敬とかそういう堅苦しいことは抜きにして、どちらの歌も私的には、『うーん』という感じでした。


どこが『うーん』かというと、

どちらの歌も詠まれる前に、

どういういきさつで作られた歌かという説明がガッツリ有り、

その上で詠まれた歌が、説明のまんまで、何のひねりも無かったから『うーん』なのだ。


説明が無いとなんのこっちゃ?

歌自体は説明のリフレイン


作者が皇族で無ければ、… でしょうねぇ。


毎年そう思う。


私は和歌が詳しくも上手でもないがそう思うし、たぶんどなたも正直な感想は私と同様ではなかろうか?


皇族は公務で忙しいんだよ!

恒例行事だから(仕方なく)作ってるから

とかいろいろエクスキューズはあるだろうし、(そんなことは皇族は言わないことは承知している)それはその通りで文句はない。


大昔の勅撰和歌集には、皇族の歌がけっこうある。他にも高貴なお方の歌が溢れている。


和歌はそういった方々の必須の教養、嗜みだったと聞く。


その流れ(名残)で、現世の皇族にも和歌の名手がちらほら居て、名手ほどではないにせよ『それなり』の歌い手であってほしいなぁと期待するのは不敬ではあるまい。


皇族は、縛りの多い人生でもあるだろうが、

一般とは異なる生活を送ることもある意味許される存在とも思う。


皇族独特な教養的なことの修練を積んでほしいなぁと思ったりする。


まぁ、ニュースでは流れないだけで、皇族の中にも素晴らしい歌い手が居るのかもしれませんが、それなら、皇族内での立場(有るのか無いのか)を度外視して、秀歌はテレビで放送してくれても良かろう。