公園廃止の件 賛否を行ったり来たり | 日々是好日

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日常で思うことを書きます。

本件について、私は、苦情相談した方を支持している。


理由は、我慢の限度は人それぞれで、苦情相談をする権利は誰にでもあると思うからだ。


本件は、当初、苦情相談した側が批判された。


すると、苦情相談するのも分かるという声が出てきた。


そして、苦情相談した方が教授だと知れると、

上級国民が優遇とかやっかみ混じりの声を受けて、再度、苦情相談側が批判された。


この行ったり来たりは、報道の仕方に問題があると考える。


表現を平等にしても、出す情報の取捨選択に偏りがあれば、

世論をミスリードする可能性がある。


人は、どんなに中立性を保とうとしても、

どっちかに重心は偏るものだ。


報道をすることは、世にその事例を知らせようとする自己の欲求の表出の一環だから、

なにかしらの色合いは出てしまうだろう。


さて、前にも書いたが、

近所の定時的な騒音は、私には不快極まりない。

30m先でのボールのドリブル、壁あての音が、

気になってしまう。


私以外は気にならない人も当然いるだろうし、

私以上に気になって、転居してしまう人もいるだろう。


要は、 感じ方は人それぞれで、対処方法も人それぞれで、そのことに他人がどうこう言っても仕方ないのだ。


本件、当事者があまりにクローズアップされて、騒音とは別の理由で、更に不快になったりしたら気の毒である。


もう、辞めてほしいのよ、この話題は。