子どもの声で公園廃止 | 日々是好日

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日常で思うことを書きます。

長野市でそういう事態が発生している。


世論は廃止に批判的だ。


有名なコメンテーターも批判的だ。


その批判を批判しようものなら、

ブーがたくさん付きそうだ。


私は、騒音は、些細なレベルでもイヤなものだと感じる。


3軒隣の家の前の道路で、バスケットボールの練習をする音が気になる。


アスファルトでのドリブル、ブロック塀にボールをぶつける、音と共に響きがある。


その練習はほぼ毎日で、同じ時間だ。


またかよ!とイラッとする。


最近越して来た子どもが行っており、

今まで数十年そういう音は聴いたことがなかった。


平穏という既得権を侵害されたと、大袈裟にもそういう感情だ。


昨年の冬に隣家の庭で子どもが放課後に遊ぶ時期があった。


これも同様に平穏を侵害された気分だった。


こういったことは、公園の騒音も含めて、

当事者でないと分からないことである。


他人は、そんな大袈裟な!と思いがちだ。


でも、その他人が当事者になれば、

不快と感じる可能性がある。


住環境問題は、デリケートだ。


他人がとやかく言うことは拙速だ。


当事者以外は関わるべきではないと思う。


コメンテーターは、時には、

分からないと言う回答も用意しておくべきだ。