自分の感覚に従えばいい | 考えすぎ

自分の感覚に従えばいい

機械的に捉えて、感覚的に動く。
そのためには、まず、論理に振り回されないようにしなければ。


・・・ああ、もう既にいけない。
「しなければ」と思い込んでいる時点で、
論理の歯車に巻き込まれてしまっている。


そうではなく、自分がしたいことをしたいようにやるのだ。
「しなければいけない」という客観的状況を機械的に捉えた上で、
実際にどうするのかは、自分の感覚で決めていく。
・・・そうでなくっちゃ。




「そうでなくっちゃ」?
これもまた、禁句だろうか?


いや、そんなことはない。
問題は、自分自身がどう感じているか、だ。


どんなに機械的に見える言葉でも、
自分の感覚から発せられた言葉なら、それは感覚の言葉だろう。
他人がどう思うかなんて関係ないし、
どういう状況かを判断しようとする必要もない。
ただ、自分の感覚に従えばいい。
それだけのことだ。