ルールと約束 | 考えすぎ

ルールと約束

小説『チーム・バチスタの栄光』に出てくる台詞。


ルールは破られるためにあるのです。
そしてルールを破ることが許されるのは、
未来に対して、よりよい状態をお返しできるという確信を、
個人の責任で引き受ける時なのです。


一見すると逆説的だけれども、よく核心を突いていると思う。




当然、ルールは「守るため」に作られる。
しかし、いったん作られたルールは、いつの日か「破られるため」に存在している。


いつ破られるかは、そのルールに関わる人間しだいである。
ルールが守られるか破られるかを決めているのは、常に人間であり、ルールではない。
もっとも、破られる日が来るとは到底思えないような強固なルールもある。
しかし、そのようなルールも、“絶対に破られない”ことが保証されているわけではない。


ルールは、あくまでもルールに過ぎず、
当初こそ「守るため」に作られるものの、常に「守られる」ために存在しているわけではない。
もし、あるルールが、すべての人から常に必ず守られるものであるのなら、
それは、もはや「ルール」ではなく、「法則」などと呼ばれるべきだろう。




約束も、「守るため」に交わすものだ。
しかし、いったん交わされた約束が必ず果たされるのであれば、
それは、もはや「約束」ではなく、「事実」などと呼ばれるべきだと思う。


「法則」や「事実」は、
それに関わる人間の意志に関わらず、安定的に存在する。
一方、「ルール」や「約束」は、
それに関わる人間の意志によってその存在を強めたり弱めたりできる、非常に恣意的なものである。
だからこそ、
「ルール」や「約束」は、常に見直される必要があるし、
見直してもなお、それが大切だと思うのであれば、何度でも新たに作り直す必要がある。


ルールを一度作れば自動的に守られる、とか、
約束を一度交わせば自動的に守られる、なんてことは、およそあり得ないのだ。