「幸せ」は相対的 | 考えすぎ

「幸せ」は相対的

幸せとは、どうやら相対的なものらしい。


宝くじで1億円を当てた人は、幸せを噛みしめることだろう。
しかし、初めから金持ちだった人は、
そのことの幸せをそれほど感じないだろう。


臓器移植手術を受け、無事に社会復帰できた人は、幸せを噛みしめることだろう。
しかし、臓器に異常のない多くの人は、
そのことの幸せを感じないどころか、おそらく、それを当たり前のことのように思っている。




僕は、死が怖い。
死んで、すべて消えてしまうことが怖くてたまらない。
だから、生きているだけで幸せだ。
生きている今が、ありがたくてたまらない。


死がそれほど怖くない人は、
生きていることの幸せも、それほど感じないのかもしれない。




幸せとは、不幸でない、ということだ。
不幸を知らなければ、幸せもわからない。


例えば僕の場合。
死を意識するから、生きていることを幸せに感じる。
砂漠の人々のことを思うと、蛇口をひねって水が飲めることはとても幸せだと思う。
悩みを溜め込む苦しさを思えば、こうして気持ちを吐き出す場所のあることはとても幸せだ。


幸せを感じる時も、不幸を感じる時も、
きっと心のどこかで、
別の何かと比べている。


幸せとは、どうやら相対的なものらしい。