北鎌倉にある笠智衆さんのお墓を訪ねた。笠さんは、言わずと知れた、大俳優で小津安二郎の作品や、寅さんシリーズで有名だ。特に「東京物語」は映画史に燦然と輝いている。笠さんのお墓は、北鎌倉の駅からしばらく行った、成福寺に静かにあった。初秋の日に少し暑そうにしながら、ぽっかりとあった。墓地の向こうに民家の照柿が、西日を浴びてらてらと輝いていた。 私は、墓石に水をかけて静かに参った。

 帰り、交通量の多い街道で、螳螂がどこからともなく飛来して、私の肩に止った。静かに生垣に放すと、小さな複眼は一瞬私をとらえたかのように思えた。笠さんの飄々とした、風貌を思い起こさせた。

近くの小津さんの墓にも参ろうかと思っていたが、胸がいっぱいになってしまい失礼することとした。静かな秋の日だった。私の胸のうちであの照柿が赤くさんさんと輝いて灯っていた。


成福寺 初秋の北鎌倉路地

 谷川俊太郎の詩に「ポエムアイ」というのがある。長いが全文を引用する。


  ポエムアイ

 

私は妻の円い腹部の表面に詩をこすりつけ妻を甘草の匂いのする詩でみがきたてた。そうしたらどういうわけか、妻は極度にやせてしまった。だがおかげで彼女は、非常によく推敲された一行と同じ位、美しくなった。妻は私に向かって、しきりに何かを訴えていたが、彼女の口はもう私の詰め込んだ藁と水とでいっぱいになっていたので、私には無意味なうめき声しか、聞きとれなかった。

だが、妻のろうそくのような白い裸体を見ているうちに、突然私は自分の眼の変化に気づいた。私の瞳孔は死者のそれにまで拡大し、私の水晶体は無限に焦点をあわせた。一瞬にして私は会得した。すべてを詩の視線で眺めること、ポエムアイ! もはや詩をこすりつける必要はどこにもなかった。妻はたちまち肥り始め、皮膚の色は鮫のように黒ずんだ。けれどそれが何だろう。夜毎私は妻を抱きしめ、妻は次から次へと子を産んだ。私はかれらを片っぱしから白楊の木につなぎ、あらゆる軽業を丹念に鞭で仕込んだ。

ポエムアイ! 愛とやさしさ、こっけいな義務!こうして私は、世界の謎々あそびに加わることになってしまった。


『谷川俊太郎詩集』 思潮社刊より


歌人、石川啄木は、『食らうべき詩』のなかで若いときの詩作を振り返ってこのように語っている。「ちょっとした空地に高さ一丈位の木が立っていて、それに日があたっているのを見て或る感じを得たとすれば、空地を広野にし木を大木にし、日を朝日か夕日にし、のみならず、それを見た自分自身を、詩人にし、旅人にし、若き愁いある人にしたうえでなければ(中略)満足できなかった」。

谷川俊太郎と石川啄木の言葉には、表現することについての怖さ、畏怖が潜んでいるように私には感じられてならない。

谷川 俊太郎
谷川俊太郎詩集
石川 啄木
時代閉塞の現状,食うべき詩 他10編

 森下雨村の『猿猴 川に死す』を読んだ。森下雨村は昭和初期の雑誌編集者。彼が昭和15年に郷里の高知県佐川村に帰ってからの釣り三昧を書いたエッセーである。澄んだ川には鮎やうなぎが泳ぎ、それを捕って糊口を得る川漁師たちの和船が浮かんでいる。表題の「猿猴」とは河童の意。雨村の友人で金突きの名人、横畠氏のあだ名だ。横畠氏はまるで河童のように縦横無尽に川に潜り魚を突く、その氏が網打ちの最中に堰を渡る子供が足を踏み外したのをみて助けようとするが、水中の岩に打ち付けられて亡くなってしまう。その氏を悼みながら思い出を書いた表題作。他に、雨村が幼少のころから親しんだうなぎの「ヒゴ釣り」を書いた『種田先生』など、美しい日本の原風景の中で、心温める人々との交流を描いた珠玉の短編が詰まっている。

 川が生活の一部となって脈々と生きていた時代の夢のような話である。

森下 雨村
猿猴 川に死す―現代によみがえった幻の釣りエッセイ

 携帯サイトで一日6万件のアクセスを記録したという、紺野キリフキの「キリハラキリコ」を読んだ。話は、シュールなワンフレーズの集積といった感じで、主人公のキリハラキリコの日記に書かれる不思議な世界の物語だ。新学期の教室にいったキリコは誰もいない教室に一人のおばあちゃんを見る。おばあちゃんは誰もいない教室でただ先生を待っている。そしてそれは「うそ教室」だったりする。人がヅラかどうかを見分けることだけが特技のミスター水村。暦をめくるのを待っている「暦屋」。「季節停電」の町で行われる「おにんぼ」という不思議な遊び。不条理な世界なのだが何故か、不思議な既視感におそわれる。携帯の限られた画面の中で短い不思議なワンフレーズは読んだ後、違和感となっていつまでも残っていく。不思議な小説だが、携帯サイトというメディアの特性うまく活用した作品だと思った。

紺野 キリフキ
キリハラキリコ