谷川俊太郎の詩に「ポエムアイ」というのがある。長いが全文を引用する。
ポエムアイ
私は妻の円い腹部の表面に詩をこすりつけ妻を甘草の匂いのする詩でみがきたてた。そうしたらどういうわけか、妻は極度にやせてしまった。だがおかげで彼女は、非常によく推敲された一行と同じ位、美しくなった。妻は私に向かって、しきりに何かを訴えていたが、彼女の口はもう私の詰め込んだ藁と水とでいっぱいになっていたので、私には無意味なうめき声しか、聞きとれなかった。
だが、妻のろうそくのような白い裸体を見ているうちに、突然私は自分の眼の変化に気づいた。私の瞳孔は死者のそれにまで拡大し、私の水晶体は無限に焦点をあわせた。一瞬にして私は会得した。すべてを詩の視線で眺めること、ポエムアイ! もはや詩をこすりつける必要はどこにもなかった。妻はたちまち肥り始め、皮膚の色は鮫のように黒ずんだ。けれどそれが何だろう。夜毎私は妻を抱きしめ、妻は次から次へと子を産んだ。私はかれらを片っぱしから白楊の木につなぎ、あらゆる軽業を丹念に鞭で仕込んだ。
ポエムアイ! 愛とやさしさ、こっけいな義務!こうして私は、世界の謎々あそびに加わることになってしまった。
『谷川俊太郎詩集』 思潮社刊より
歌人、石川啄木は、『食らうべき詩』のなかで若いときの詩作を振り返ってこのように語っている。「ちょっとした空地に高さ一丈位の木が立っていて、それに日があたっているのを見て或る感じを得たとすれば、空地を広野にし木を大木にし、日を朝日か夕日にし、のみならず、それを見た自分自身を、詩人にし、旅人にし、若き愁いある人にしたうえでなければ(中略)満足できなかった」。
谷川俊太郎と石川啄木の言葉には、表現することについての怖さ、畏怖が潜んでいるように私には感じられてならない。
- 谷川 俊太郎
- 谷川俊太郎詩集
- 石川 啄木
- 時代閉塞の現状,食うべき詩 他10編