海に帰る日 (Shinchosha CREST BOOKS)/ジョン・バンヴィル

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 もし、あなたが朝起きて名前は勿論、誰も彼もが昨日までのあなたを憶えていないとしたら、あなた自身は記憶を持っていたとしてももはやあなたは自分が何者なのか分からなくなるのではないだろうか?
 『多くの人々の心の中で、人は枝分かれして、分散していく。しかも、それは永遠にはつづかず、永遠に続くことはありえない。不滅ではないのだ。わたしたちが死者の面影を胸のうちに抱えているのは自分たちが死ぬときまでで、その後は、自分たちの面影がしばらくのあいだほかの人たちに抱えられることになる。それからこんどはその人たちが倒れ、そんなふうにして想像もできない世代へと受け継がれていくのだ、わたしはアンナを覚えている。娘のクレアも彼女を覚えているだろうし、わたしのことも覚えているだろう。それからクレアがいなくなると、彼女を覚えてはいるが、わたしたちのことは覚えていない人たちが残り、そのとき私たちは最終的に消滅することになるのだろう。たしかに、わたしたちのなかには残っているかもしれない。色褪せた写真か、一房の髪、いくつかの指紋、わたしたちが最後に息を吐いた部屋の、空中にばらまかれているいくつかの原子。だが、そのどれもわたしたちではない。いまここにいる、かつてそこにいたわたしたちではない。それは塵と化した死者のかけらでしかない。』
愛する妻を亡くした、初老の男が訪れたのは、かつて少年の頃過ごした海辺の街にある夏の別荘だった。かつてそこに住んでいた人々も今はなく、家守の初老の女性が細々と家の管理をしているのだった。そこで失意の日々を、まるで亡者のように、妻の逝った世界が、死者の世界が男の現実を落ち寄せる波のように静かに侵犯していく。そんな中で男の心によぎるのはかつて少年の頃の記憶と亡き妻の記憶だった。波に抗するのはあまりに頼りないその記憶を辿ることで、失ってもなお生きるという一つの光明がかすかながらに男の今を照らすのだった。死者との生者とのたゆたいが、渚の波の戯れと、かつての少年の日々の夏の木漏れ日とにレース模様のように浮かび上がる。
『わたしはいつもあきらかに何者でもない人間であり、わたしのもっとも強烈な願いは、漠然とした何者かになることだった。』『アンナは「あなた自身になればいいじゃないの?」ー知れではなくてなれなのだー』『わたしたちがそういう人間だとほかの人が思っている人間になろうとする重荷から、(中略)彼女はわたしをその重荷から解放してくれた。』
存在を根底からささえる、記憶。ジョン•バンヴィルの『海に帰る日』の数々の珠玉の名言は、大切な何かを感じさせてくれる。