生命とは何か―物理的にみた生細胞 (岩波文庫 青 946-1)/シュレーディンガー

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 幼かった頃、祖母のお墓に額ずき祖父にこう尋ねたことがある。「ねえ、おじいちゃん、おばあちゃんは死んでどこにいったの?」と。私の郷里はひどい田舎でもあるため祖母は土葬にされた。もっとも私が生まれる前に亡くなったので、それは戦後間もなくのことではあったのだが、その墓は最近になって改修されるまでは、じめじめした土まんじゅうが祖母の墓標だった。「婆様は土に還ったのさ」と祖父は答えた。
 ~死ぬと土に還る~それは肉体が消滅して、分解され最後には無機質なただの固い物質に還元される。そんな唯物的な発想の萌芽であるとともに、すべては流転し消滅と生成を繰り返す還元論、輪廻の思想を含んだ私たちになじみの深いアミニズムの思考を含んでもいる。
 コンピュータ・サイエンティストのスティーブ・グラントが『創造-生命とそのつくりかた』という本でこのように述べている。
 「子供時代のある経験を考えてみてほしい。あなたが鮮明に覚えているもの、あなたがまるでそこにいるかのように、目で見、感じ、ひょっとしたらにおいさえ嗅ぐことのできるようなものを。結局のところ、あなたはそのとき、そこにいたんじゃなかったのですか?そうでなければ、どうしてあなたはそれを思いだすことができるのか。それでは、ここで爆弾発言をしよう。実は、あなたはそこにはいなかったのだ。いまのあなたの体にある原子の一つとして、その出来事がおきたとき、そこにはいなかったのだ。・・・・・・物質はある場所から別の場所へと流れていき、束の間だけ寄り集まってあなたをつくる。」と。
 つまり、物質としての生命は、少なくともその構成要素である分子レベルで見たときは、先の祖父の言葉が暗に指し示したように、土に還るのだ。しかも、ルドルフ・シェーンハイマーの検証によると生命を作るさまざまなアミノ酸は驚くべき速さで代謝を繰り返している。そればかりかアミノ酸レヴェルではなくもっとミニマムなレヴェルでの構成元素の代謝が行われていると言う。つまりは、死者ばかりでなく生命活動を行っている生命体そのものが、激しい代謝によって生成と消滅を繰り返すことによって、その生命活動を維持しているとしたら....「婆様は土に還った」ということは、唯物論的暗喩ではなく、流転する生命の本質的な回答にはなるまいか?分子レベルで見た生成と消滅を繰り返す生命のシステムは、エントロピーの拡大、つまりはカオスへと落ち込むことからいかに秩序を保っているか?このことに量子力学の立場から答えたのが本書である。しばらく絶版になっていたが、このたび岩波文庫での再版となり読んでみた。
 1953年のワトソンとクリックのDNA構造の発見に先立ち書かれた本書は、生命の本質が遺伝子にあることを予見し、その遺伝子を構成する物質が膨大な生命を構成する分子に比べて、あまりにも少ないのにも関わらずエントロピーの拡大を免れ、秩序を維持しているのはなぜか?といった疑問に量子力学の立場から答えた優れた本である。流転する生命。それはシュレディンガーが本書のエピローグで示したように、輪廻する生命観という私たちの体に染み付いたアミニズムの生命観、そして分子生物学と量子力学という学問を横断することによってミニマムな構造とマクシマムな構造とを類似させ、宇宙観をも内包する巨大な知の世界の扉を開くのだ。