苦海浄土―わが水俣病 (講談社文庫)/石牟礼 道子

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 日経新聞『私の履歴書』が民俗学者の谷川健一なので、いつもの経済人のものより関心を持って読んでいるのだが、5月29日付『奪われた幼少の記憶』と題して氏の故郷の水俣について書かれた一文がことさら目を引いた。「水俣は海山に囲まれ、二月の末になると、春雨のように暖かい雨が音をたてて降った。(中略)夏になると、昼間は海の微風が町中を吹きわたり、夜は山からの涼風に見舞われた。」という美しい郷里が、水俣病の発生によって「くろぐろと墨の線を引かれてしまった。牧歌的な所へ反牧歌的なものが突然爆弾のように投げ込まれ、私は過去のことを素直に思い出せなくなった。」と氏は回想する。この一文を読んで私は石牟礼道子の『苦海浄土』の冒頭を思い出す。
 「湯堂湾は、こそばゆいまぶたのようなさざ波の上に、小さな船や鰯籠などを浮かべていた。子供たちは真っ裸で、舟から舟に飛び移ったり、海の中にどぼんと落ち込んでみせたりして、遊ぶのだった。」という牧歌的な、船べりをたゆたう水のきらめきが見えてきそうな、汐風が鼻腔をくすぐる、感覚的でディテールの際立った風景が、一転、水俣病の病魔に犯された一人の少年の描写によって、過度の強度と緊張感でもって打ち破られていく。少年は不自由な四肢をふんばって石ころを空中に放っては木で打ち据える「野球のけいこ」に興じている。それは、「昼餉はとうにすみ、人々は畑か、漁か、町に下り、部落全体がひとつの真空を作っていた。(中略)少年だけが、ひとりで「野球」のけいこをしている午後の村は、彼のけんめいな動作が、この真空を動かしてゆく唯一の村の意思そのものであるかのように、ほかに動いているものはなにもなかった。」と描かれる。そんな彼の歪んだ背中は「引き絞られ手て撓んだ弓の柄のように、ただならぬ気迫に満ちて構えられており、けれども、それは引き絞られるばかりで、ついに狙い定めた的にびゅうと放つことがまだ一度もできない悲しみに撓んでいるようにもみえる。」と。
 風景が反転し、細部が「くろぐろ」と埋め尽くされ、ある強度を持って蹂躙されていくときその巨大な力の前に、風景を織りなすさまざまなものは、沸点を極め巨大な力に飲み込まれる部分へと変質してゆく。このことは、逆に「問題」がおこらなければ風景は部分へと分割はされず、それはたゆたう水のごとくごく当たり前に私たちを取り巻いているだけであるとも言い換えられる。部分へ分割、それは疎外化と言っても良いと思う、がもたらされるとき、風景と私の間には親和力は無く、お互いが対立していく。これは、何も水俣に限ったことでは無い。山肌を削り、出現したニュータウンにも、護岸を押し固められた河川にも、もはや親和力は失われている。
「独占資本主義のあくなき搾取のひとつの形態といえば、こと足りてしまうかも知れぬが、私の故郷に今だに立ち迷っている死霊や生霊の言葉を階級の言語と心得ている私は、私のアミニズムとプレアミニズムを調合して、近代の呪術師とならねばならぬ。」と言う石牟礼氏の言葉は重い。風景から疎外された私たちは、かつて豊かな交感を通じて親和力を保っていたその関係を取り戻すためには、失われつつある呪詛の言葉を丹念に聞き取り、ディテールに宿る名も無き神々の死に絶えゆく言葉を、かすかな響きとして見つけ出す意外にはあるまい。そんな繊細さを身につけたいものだ。