お茶漬けの味

¥3,591





蓮實 重彦
監督小津安二郎
 最近、読書から遠ざかり、小津の映画ばかり観ている。今回は『お茶漬の味』を観て感じたことを書いてみたい。1952年の作品は笠智衆がパチンコ店の店主を演じてて戦地の上官であった佐分利信と再会の酒を酌み交わしながら、へたくそな軍歌を吟じるところが、私の好きな場面である。笠さんは下戸でビール一杯であっても顔を紅くしてしまったほどであったというが、小津とは「鎌倉会」という座敷でしばしば同席したという。その際、下戸の笠さんに対して小津はしばしば「笠さん、あれいこうよ。`のぞき`いこう」といって「のぞき」をせがんだと言う(笠智衆『小津安二郎先生の思い出』)。「のぞき」とは何も女湯をのぞくことではなく、「のぞきからくり」という紙芝居風のみせものの口上のことである。酒の入った小津は『長屋紳士録』で笠さんが演じた「のぞきからくり」をいたく気に入って、しばし頼んだというのである。このことがあるので、笠さんの酔っ払った演技と、下手な歌が面白い。
 酒がダメな笠さんは『晩春』で原節子の父を演じたときに、娘の原節子の友達役の月丘夢路と小料理屋でビールを飲むシーンがあって、普段は麦茶を撮影に使っているのだが、このときは本物のビールを使用したので顔が真っ赤になって撮影を中断しなきゃならなかったなどというエピソードなもあり、だからこそ、笠さんの日本酒(撮影時は水)が入っているのであろうコップを呷るシーンが上手なわりに下手な歌が、「鎌倉会」での様子を彷彿とさせて可笑しい。
 小津の作品には、飲む食べるといった場面が多いのだが、『お茶漬の味』はそお題が示すとおり「お茶漬け」をめぐる物語である。佐分利信の妻を演じる有閑マダムの木暮実千代が、食卓で佐分利信が演じる夫が、うっかりご飯に味噌汁かけてすすることを見咎め、この夫婦のなんとなくギクシャクした関係を象徴させる。 
 蓮實重彦が『監督小津安二郎』で詳細に示したように、小津の作品では食べる行為を通じて物理的な空間と物語の説話論的持続が維持、分断される有用な映画的要素=主題なのであるが、まあ、あまり難しく考えずとも、妻に不快だとなじられた夫が、「ぼくは、これが好きなんだ、なんていうか、プリミティブでざっくばらんなところが好きなんだ」と言う言い訳をして、映画の最後に一緒にお茶漬けをすすりながら、妻が「わたし、馬鹿だったわ」「あなたが、プリミティブざっくばらんが好きだったてこと、やっと分かったの」と和解の言葉を言う感動だけで十分である。
 そして、その和解のお茶請けをすするしなをつくった木暮実千代の仕草ではなく、その後大いに睦みあったことが彼女の口から後ほど判明するのだが、「わかってくれればいいんだ」と茶請けをすする佐分利信の茶碗を持つ、その太いがっちりした男の腕をフィルムが捕らえているところに官能の幻惑を感じるのだ。




笠 智衆
小津安二郎先生の思い出 (朝日文庫 り 2-2)