ころころと風に転がる哀しみもあったんだ。西加奈子の新刊『通天閣』を読み終わり、そう思った。『あおい』、『さくら』、『きいろいゾウ』。こんなに新刊を待ち焦がれた作家も久しぶりだ。いそいそと本屋に行って早速購入。しかし、期待が膨らみすぎたのと、もったいなくてうじうじ装丁を眺めていたが、やっと読み始めて......うーん、やっぱり西加奈子だわ。期待を裏切らないわ。感動したわ。そして、なんか、風に転がる哀しみもあるんだよなって、椎名誠のタイトルみたいな読後感が残った。別に、作中に風が吹いているわけではないのだけれど。


 舞台は、大阪ミナミ、『明かりがついているときには「じゃんじゃんいきまひょ」とでも言うかのように、飄々と信用ならないおっさんの雰囲気をかもし出しているのに、明かりが消えた途端、妙に殊勝になり、「わてなんかこの世で何の役にもたってまへんのや」と情けないような表情を見せる』通天閣の見える町で交差する二人の物語。


 44歳の中年おっさんは、「ライト兄弟」や「足元てやしまっせー」と言うふざけたネーミングの「百円ショップやコンビニに卸す」懐中電灯などの部品を作る工場ラインで働く。以前、子連れの女性と結婚したが「あいつと一緒に暮らしていたときの方が、俺にとってはまやかしの人生だったと思う。俺には家庭を持つこととは無理だったし、まして、他人のガキと一緒に暮らすことなんて、ほとんど不可能なことだった」と思い、「誰からも期待されず、誰にも期待せず、ただ毎日自分が決めたことだけをこなしていく毎日」を過ごしている。そうして、新世界のアパートで栄養不足から脚気になったりしながら、なんとなく毎日を過ごしているが、職場に入った新人の妻が出産すると「行けっ。」「阿呆、病院、行ったれ!」ともじもじする新人を叱咤激励するところもある。そうして、別れた女の「ガキ」について「ガキが、堂々と甘えてくれたら良かったのかもしれない、膝の上に乗ってきたり、手をつないでくれとせがんだり、そんなことをしてくれれば、俺たちの生活も、変わったのかもしれない」と悔やんだりする。そんな哀しみは彼に「俺が死んだそのことで、嘆く奴は数えるほどもいないだろう。情けなくて、情けなくて、本当に死にたくなった。そうだ、俺は、死にたい。なんなんだこの人生は。なんだこの、人生は。」と思ったりもするが、そんな人生が「嫌でなかった、悲しくもなかった。」と嘯いている。


 もう一人はミナミのスナックに勤める女。同棲していた恋人の「マメ」(映像作家を目指している)が「ニューヨークに行く。」といって留学してしまってから、「夜を埋める仕事をしようと思い」、『「スナックで働いている」ことで、マメがしでかした私への仕打ちの大きさを気づかせようと」して、「チーフ」として夜の店で酔客を相手しながら、店のトイレの鏡に「私たちは、別れたわけではない。」と独り言ちたりしている。「・・・・・・好きな人が出来てん。ごめん。別れたい。」とマメからの電話に、「ゲロを吐いて」、置き忘れていったマメのセーターでゲロを拭きながら「うち、マメにフラれてん。」とまた、独り言つ。そんな彼女の哀しみは、『夢に向かって頑張っていないと駄目なのか、何かを作ってないと駄目なのか。自転車でバイト先に向かい、阿呆の相手をして、マメのことだけを思って眠る生活をしている私は、駄目なのか。「きらきら輝いて」いないのか』と思い、「どれだけ泣いても、涙が止まらなかった」りする。


 そんな二人が、通天閣で交差する(ネタバレになるので何故かは言えないのですが)。通天閣の上には今まさに飛び降りんとする一人の男がいた。その男「Mr。ダマー」(44歳男の隣人)に彼が叫ぶ「お前のことがっ、好きやああああああああ!!!」とそして彼女も叫ぶ「雪や!」と。そして、二人の人生が一瞬交錯すると彼は思う、涙を流しながら、「俺には、お前が必要だった。お前は皆に愛されるべきガキだった。捨てていった俺を、恨んでもいい。どんな風に思ってくれてもいいから、せめて、せめて、幸せでいてほしい。幸せでいてほしい!」と。そして、彼女は思う、「愛してくれるのだろうか、ではない。愛そう。」と。


 哀しみは風にころころと吹かれ転がるように、いつかはなくなるのかもしれない、癒されるのかもしれない、気張って振りほどかなくても、少し恥ずかしくても、嘯いていても、ちょっと踏み出せば必ず......そう思えた一篇でした。

西 加奈子
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