母の家出(別居)178日目

 

こうして母の家出(別居)記録を書いている内に沢山思い出すことがある汗

中には本当に嬉しかったことや楽しかった思い出も勿論ある。

けれどそれを上回る位、辛くて悲しくて痛くて泣けてくる日々も思い出す。これは思い出したくはない記憶。

記憶の中の私は幼い私、物心がある私、反抗期の私などその場面場面で様々な私を登場させる。

その度に私の気持ちは「辛い」「悲しい」「寂しい」だった汗

 

幼い私は何をするも母の顔色を伺っていた。伺うというよりもお伺いするような感じだった。

母が上、私は下と思うような上下関係であった。

確かに理屈は通用する。母のほうが何をするも経験した年の数だけ上なのはそりゃそうだわってなる。

そういう上下関係ではなく、支配下の上下関係だった。

それに反抗した場合は折檻がある。折檻って簡単かもしれないけれど、思いっきり叩く叩く。

叩いた手が痛くなった母は布団たたきで叩く。青たんになろうとみみずばれになろうと叩く。

その後私は何がなんだかわからない理由でも謝る。「ごめんなさい。もう2度と言わない、やらない」など泣きながら汗

謝り切ってもう限界に達してそれを理解したのかどうか母の機嫌が直って母は私にみみずばれの箇所を触りながら

「痛かったよね。ごめんね。でもあなたの為だから」っていうの。

今考えても最悪な親よね。そんなことできないもの。普通は・・・・・ポーン

 

そんな経験をしていたので何かあれば「痛いことをされる」って記憶した私の中で母は上と認識した。

その上に逆らえないと思った私は母の奴隷になったのかも知れない。

 

物心がついた記憶は優しかった祖母のことだ。これは母方の親ではなく父方の親。

父方には母親しかいない。その祖母は母から常にだらしない人と聞いていた。お金のことも男性に対してもそして母は祖母に騙されたともいう。

 

祖母は夜の商売もしていたので、結構ルーズな生活をしていた。

父は2人兄弟で、父の父(私からしたら祖父)の愛人をしていたのだ。そして父はその愛人の子供。

認知もされていない子供だったそうだ。

それを母はされた、嘘をつかれたと祖母に対して文句を常に言っていた。

認知されていない子供はこの世の子供でもない。

愛人の子供は子供として扱ってはいけない。と、こんな偏見を持った母ぼけー

そして両親そろっていない家庭との結婚はダメという偏見。

祖母は母が結婚を決めた時に、他の男性とお付き合いをしていた。

その人も結婚していて「そのうち離婚して正式に結婚する」と話していたけれど、父と母の結婚後、破局したと聞いている。

その祖母は私に「本当は正式な妻になりたかった」と言ったこともあった汗

これは本音だったのだろうと思う。

子供を2人抱えて夜の商売をしながら必死に育て好きになった人が家庭を持っていた。

その家庭をもった男性と一緒になれると思ったけれど、それには向かなかった。

妻としての座を持つことが一生ないのだと思ったのだろうなと今でも思うショボーン

 

その祖母は私に優しかった。叩くことも叱ることも一切なし。

そりゃぁ危ないことをしたり口が過ぎる時には叱られてもいた。

でも母が祖母の前で1度私を叩いた時、祖母は私を守り母に注意をした。

その時代はストレスなんて言葉なかったから、滅入っていると表現していた。

祖母も現在生存はしていると父に言われたけれど、耳も遠く少し認知を入っている。

今現在は母のこともあり、父とも連絡を途絶えている私。最後に聞いた時はそんな話をしていた。

祖母は私に優しく微笑み、あなたはとってもかわいい子、ばあちゃんの宝物と言っていたし私も懐いていた。

けれど父と母が私が小学生のころに不仲になり、祖母の所へ会いにいくことも連絡することも途絶えてしまった。

 

これは母の嫉妬の1つで父の妹がキャリアウーマンで結婚もし子供も2人いて好きなようにしていると思っていたんだろうと思う。

私からしたら叔母でもあるけれど、あの時代で女性が仕事をし続けるってのは結構大変だったと思う。

離婚を結局してしまった後も祖母が孫の面倒をみながら、定年退職するまで仕事をし続けていた。

母からしたら叔母がどんなに大変なことをしていたかも知らずに

「好きなようにして」って嫉妬をしていたんだろうと思う。

なら母も同じようにしていればいいのにって思うけれど、母は自分で努力するってのが1番嫌いだからしない。

お金持ちの人を兎にも角にも嫌う母。

変なことをしているからお金ももっている。土地を持っている。

外見だけで判断する母。

その裏側で必死に働いて必死に悩んでいる人がいることを知らない母。

それに嫉妬する。

どうして自分の実家は貧乏だったのか?と。

 

そしてお金が自由に使えると判断した年齢の母が先に手を出したのはサラ金ね。

もう湯水の様に湧くと思っていたのでしょうねガーン

今みたいに収入の何パーセントしか貸しませんよとはなかった時代でもあり、膨らむ膨らむ。

パチンコという好きなようなことしていたじゃん!って今でも思う。

なのに満たされなかったんだろうね。残念ながら。

そして母は好きなようなことをして家族をバラバラにした。

 

一時期は父と父の妹。

今現在も祖母と父方の叔母と私。

私と妹。

 

本当に悲しい人DASH!

人を恨み人に嫉妬し、人とバラバラになり孤独になりそしてどうしようもない人生を今も送っているだろうと思う。

その負の連鎖を私は止めると決めているから、母とのコンタクトは取らないと思う。

だってそこは私が私の子供を守る為でもある。

 

私の子供達がまた結婚したいとか子供を産みたいって思った時、私は自分の家族をバラバラにしたいとは思わない。

だって命よりも大切な子供や旦那様。

そんな人達のことを嫉妬して、私が好き勝手にやっていればバラバラになると思う。

 

それに家族や好きな人ならばその人達のやりたいこと、夢など全力で応援するだろうと思う。

時には喧嘩もして口を聞きたくない時もあると思う。

でも家族や好きな人ならば修正しようと努力をする。

 

努力を惜しむな

 

 

本当これに尽きるのかもしれない。

でもたまには休みたいけれどね照れ