6月23日って、何の日か、関心を持って知っている人が少ない

感じがします。

 私も、6.23を毎年意識しているかというと、自信が無いです。

 

 たまたま、3月に沖縄本島に旅行に行き、観光の中に、平和の礎(いしじ)を見学したり、

平和記念資料館や嘉手納の道の駅の屋上から嘉手納基地の様子を見たりするのを入れたのです。

 それが、改めて沖縄について考える機会になりました。

 百聞は一見にしかずです。

 

平和の礎

 

平和の丘モニュメント

 

平和記念堂の中の仏像

 

 

沖縄に行かれる方々は、是非、美しい海と空とともに沖縄戦に

関わる戦跡や記念碑なども訪ねて欲しいと思います。

 

 6月23日は、太平洋戦争末期の沖縄戦で、旧日本軍の組織的戦闘が終結したとされる日

です。それから79年経ちました。県民の4人に一人が犠牲となった凄惨な地上戦の記憶と

ともに、平和な社会であって欲しいと言う願いは、沖縄県民はじめ、日本人の多くが持って

いる事でしょう。

 世界中に戦争の火種が飛び交っている現状を憂いるとともに、私たちの身の回りで起こって

いる戦争に繋がりそうな事柄には、しっかりNOと言える強さが必要ですね。

 

23日の沖縄全戦没者追悼式で朗読された宮古高校3年生の

仲間友佑さんの詩「これから」の全文です。

「これから」

短い命を知ってか知らずか
蝉が懸命に鳴いている
冬を知らない叫びの中で
僕はまた天を仰いだ

あの日から七十九年の月日が
流れたという
今年十八になった僕の
祖父母も戦後生まれだ
それだけの時が
流れたというのに

あの日
短い命を知るはずもなく
少年少女たちは
誰かが始めた争いで
大きな未来とともに散って逝った
大切な人は突然
誰かが始めた争いで
夏の初めにいなくなった
泣く我が子を殺すしかなかった
一家で死ぬしかなかった
誰かが始めた争いで
常緑の島は色を失くした
誰のための誰の戦争なのだろう
会いたい、帰りたい
話したい、笑いたい
そういくら繰り返そうと
誰かが始めた争いが
そのすべてを奪い去る

心に落ちた
暗い暗い闇はあの戦争の副作用だ
微かな光さえも届かぬような
絶望すらもないような
怒りも嘆きも
失くしてしまいそうな
深い深い奥底で
懸命に生きてくれた人々が
今日を創った
今日を繋ぎ留めた
両親の命も
僕の命も
友の命も
大切な君の命も
すべて

心に落ちた
あの戦争の副作用は
人々の口を固く閉ざした
まるで
戦争が悪いことだと
言ってはいけないのだと
口止めするように
思い出したくもないほどの
あの惨劇がそうさせた

僕は再び天を仰いだ
抜けるような青空を
飛行機が横切る
僕にとってあれは
恐れおののくものではない
僕らは雨のように打ちつける
爆弾の怖さも
戦争の「せ」の字も知らない
けれど、常緑の平和を知っている
あの日も
海は青く
同じように太陽が照りつけていた
そういう普遍の中にただ
平和が欠けることの怖さを
僕たちは知っている

人は過ちを繰り返すから
時は無情にも流れていくから
今日まで人々は
恒久の平和を祈り続けた
小さな島で起きた
あまりに大きすぎる悲しみを
手を繋ぐように
受け継いできた

それでも世界はまだ繰り返してる
七十九年の祈りでさえも
まだ足りないというのなら
それでも変わらないというのなら
もっともっとこれからも
僕らが祈りを繋ぎ続けよう
限りない平和のために
僕ら自身のために
紡ぐ平和が
いつか世界のためになる
そう信じて

今年もこの六月二十三日を
平和のために生きている
その素晴らしさを噛みしめながら