「日本はこれからどこへ向かうのだろう…(NO297)」

 

 表記の問いが忽然と私に降って来た。世界で類をみない超高齢化社会は日本が世界で初めて経験する社会だ。世界は日本がその初めて起こることにどう対応していくのかを固唾を飲んでみている。日本は世界のモデルとして誰も知らない世界にじわっじわっと接近している。この接近が人々に言いようもない倦怠と焦燥と絶望を潜在的に創造している。私が今感じる違和感はまさにこのことが遠因なのだと気がついた。そしたらどうしたらいいか。

 

私はこの前、「自分を測る(自分の力量)5つの視点(軸)」と書いて壁に貼りだした。5科目制覇、不具合への対応、起床時刻、断捨離の実行、そして、心(精神)の安定の5つだ。目標を立てることが好きで私の人生は目標を立てることで営まれて来た。しかしその立てた目標を完遂したことはこれまでに一度たりともない。それなのにこの歳になってもまだ目標を書いて貼り出すこの行為はいったいなんだろう。目標は完遂できないものだから、それを描いて言葉にして文章にして、貼り出すという行為がそれでその目標をクリアーできたという錯覚を私は得たいのだろう。

 

5科目とは何ぞや、それは、PIANO、BUNNSYOU(KOTOBA)、RYOURI、ENNGEI、DANNSYARI、の5つ。日本語で書くのもおこがましいのでローマ字で書いてある。この五科目をこれから6年間で成就するというもの。五科目とは英数国社理の国立大学の入試科目、6年間とはこれから中学に入って高三までの6年間だ。私はその時、82歳になっている。どうしても受験の面影を追いかける私がそこにいることがこの目標の設定の仕方でもわかる。成就できなかった国立5科目制覇をまだしたいのだろう…2番目の不具合への対応というのは、人間の身体もモノも時の経過とともに必ず不具合が訪れる。その不具合を受け止めて受け入れて敢然とそれに向かっていく力のある人間になりたいという想いだ。起床時刻はずっと昔から6時半に起きると目覚ましをかけてきた。その時刻に起きたことは一度もない。だから一生かけてこれをやろうとしている自分がいる。断捨離も精神の安定と余裕がなけれがそれはできないと整理している。だから、人間関係含めて断捨離ができるようになるのなら、精神は安定しているとつなげている。

 

自分は煮ても焼いても食えない人なのだとつくづく思う。ここのところ心身不調で鬱状態がちらちらしているからだろう。こんな目標を書いて目の前に貼って、その目標を見ることで気持ちがスーッと楽になっている。心身不調の原因は、娘が小学1年生の孫娘を学校を休ませて旅行に連れて行ったことに由来する。「病気や身内の不幸以外で学校を休ませるなんてあり得ないこと学校は神聖な場所だ、撤回しなさい」、というメールをおくったら、娘から「そんなことは今は皆やっている、ディズニーランドにも皆学校を休んで行っているよ。せっかくの家族旅行にケチをつけないで暖かく見守って欲しい」と、意に反した強い口調のメールが返ってきた。その時目に入れても痛くないと感じていた二人の孫が一気に遠くなった感じがして強い寂寞感が残った。最後のやりとりは「子育ては親の責任と権利だから、こちらが関与することではないし関与もできないこと」、という文面を送って、「世代間の価値観の相違だね」、ということで、この問題をめぐる確執をおさめた。でもその衝突が私の中に色濃く余韻として残り、心身の鬱的症状を生みそして今「日本はどこへ行くのか」というこのブログを書かせている。

 

最近の事件や問題は内部告発に負うところが多い。昔なら組織の恥は自分の恥だと思って、自分が所属する組織の恥を外部に晒すことはなかった。自分の所属する組織を守ることが自分含めて組織の全員を幸せにすると信じていたし、新入社員教育や管理職研修ではそのことを第一に語ったし教えられた。セクハラ、パワハラにしても、振り返るとマネジメントの中で今ではそれにあたるということが半分近くはあった。それでも、それをする管理職もされる部下もそのことを公にしたり不愉快に感じたりすることは今とでは格段に少なかった。権利意識が高まった今は、昔普通にやってきた言わばマネジメントの範疇にあったことが、パワハラやセクハラという概念で捉えられて不愉快と思う人が増えたのだろう。

 

なにせ、何がパワハラで何がセクハラかは基準がなく、その言葉を受信した当該者がどのように感じたかで判断されるからもうお手上げだ。我々の頃は、挨拶として、「あれっ、今日は一段ときれいですね。その色素敵ですね、髪切りましたね似合いますね」、という容姿や服装やその人のたたずまいを話題にした。ある時からそれがセクハラですよという研修を受講して、口を閉ざした。ある管理者は口を開けばセクハラパワハラを指摘されかねないから、もう必要以外のことは言わないことにしたと寡黙を決め込んだ。それは重たい職場の雰囲気を生み、風通しのいい真っ直ぐな心地よいコミュニケーションを職場から奪った。私は今でも、パワハラやセクハラについてたくさんの異議を心に持っている。

 

内部告発ができるようになったこと自体は悪いことではない。正義は普遍的に大切なことだから。でも、正義とは何かということを正義を振りかざす時に人は自分に問うべきだ。基本的には法律に抵触することは正義ではないと退けれられる。しかし、法律との照合だけが正義を決める基準ではない。正義の本質は人間の中の問題だ。例え法律を侵したとしても、この道が自分にとって正義だと信じれば敢然とその道を貫くこともその人にとっては正義に生きているからだ。この人がいるからこの国はダメになる、と思ってその人を抹殺してしまうことは、大きな罪になることだけれど、正義のためにその人を殺したと、思っている人もいるだろう。正義とはいわば自分の生き方だ。自分に問うてこれは正義なのか否かを判断するべきだろう。勿論法律は守って他者に迷惑をかけないことは当然に留意する原点ではあるが…

 

少子高齢化はその個人の「正義」の範疇を大きく揺り動かしている。それは世代間の価値観の相違がそこにあるからだ。潔くさっさと古い世代は死んでいけばいいのだが、高齢化がそうはさせない。いつまでもいつまでも生きるから、自分の子供や自分の孫やその孫までが、自分と異なる価値観のもとに異なる行動をとるとそれが目について許せなくなる。内館牧子は「老害の人」と批判的に老人に警鐘を鳴らしたが、歳を重ねても若い人が多い昨今の老人は元気だから、自分が育った文化と異なることには対抗したくなる。昼間聞こえて来るテレビのニュースは半分はそんな、世代の価値観の違いを示していて不愉快なことが多い。時代は変わった、なんでこんなになったんだろうと、心の中がざわつく。子供を産まない時代、結婚しない時代、同居しない時代、学校を欠席して遊ぶ時代、不登校、いじめ、先生たちの確執、日本はいったいどこへ行くのだろうかと、しみじみと悲観的になる。

 

「もはや戦後ではない」という経済白書は1956年(昭和31年)に出て話題となったが、戦後など終っていない、戦争の後遺症の中に日本はある、と私は分析している。与党と野党の上げ足取りの本質を語り合わない不毛な討論、日教組と非日教組の確執が続く先生たちの葛藤、自分たちの組織の恥を晒す内部告発、セクハラパワハラの大合唱、不登校の生徒の激増、とても住みにくい国に日本はなりつつある。それは敗戦で精神的支柱を失った日本人が夢遊病者のように漂い続ける戦後の混乱の時と少しも違わないような気がしてくる。確固とした自信とプライドに彩られた日本人の矜持を取り戻したい。それはできるのだろうか…「まず隗(かい)より始めよ(先従隗始)」だから、先ずは自分がそんな日本人であるべきなんだろう。

 

この前読んだ河合隼雄の幸福論について触れてこのブログを閉じる。この本は1998年から彼が連載した「しあわせ眼鏡」が2014年9月に文庫化されて、昨年その文庫がまた新たに復刊されている。彼が解説で書いている二つの言葉が胸をうった。私の言葉に直して書くと、「幸福を感じるにはその幸福の底を流れている悲しみに気がつかなければそれは見つけることができない」「高い音を出している時、聞こえていない低い音や異なる音を感じる心がなければ自分の出している音は決して魅力的な音にはならない」という二つである。

 

前者は。西田幾多郎の言葉「哲学の動機は驚きではなくして、深い人生の悲哀でなければならない」ということと私の中で通底した。後者は、「聞こえない音を聴く力、見えないモノを見る力」こそ人間として一番大切なことであり、それができれば幸福は引き寄せられるのだろうと思った。上げ足取りの批判合戦、他者への責任の押しつけ、本質を欠いた不毛の議論や行動を退けて、日本人としての誇りと矜持を身に着ける教育や組織であって欲しい。明治政府が推し進めた教育勅語は消えたが、それに代わる現代の教育勅語を期待したい。

 

自分も他者もそして外国の人も尊敬し崇拝できる教育。自分の国の国旗や国歌に違和感を持っている限りそれはできない。真に自分を自分の国を愛することがなければ他者を愛し他国を愛することはできない。画期的な日本国憲法はその愛を高らかに歌い上げている。憲法論議を政争という狭い範疇で捉えるのではなく、真にそこにうたった精神をどうすれば皆で同じ方向を向いて発揮できるのかという視点から議論して欲しい。それが実現できた時、日本はやっと、戦争の後遺症というバラバラな状態から解放されて、他国から尊敬される国になれるような気がする。高齢化社会の正解のモデルとなることも、そんな気高い憲法論議を可能にすることも、夢ではない。「正義」をそれぞれが必死に考えるところから始まる。その時日本の漂流はやっと終わる。(2024年6月7日 記)