「寂しさ」(NO295)

 

 4月1日、新年度の始まりだ。初々しい新入社員が入ってきて、職場にその一人が配属されると、それまでは鉛のようにどんよりしていた職場の色が、たちまち輝き始める。そんな光景をこの時期、私はいつも楽しみに待っていた。私は人事部に行く前に人材開発センターという全社の教育研修を司る部門に籍を置いていた。総勢40人はいただろう。そこの企画課長として全社の研修プログラムを創る先頭に立っていた。

 

そこには猛烈なセンター長がいた。人事部と交渉してこちらの意向が通じない時に、ダメでしたと帰った私をそのセンター長はいつも一喝した。「どの面(つら)さげて帰ってきたんだ、こちらの意向が通らないなら通るまで帰ってくるな、もう一回行って来い」とそのセンター長の雷が落ちた。人材開発センターは人事部と同格の本社の一部門だったから、そのセンター長は意識して人事部の意向に負けるなとはっぱを我々にかけた。私は「はい」と小さく答えて、人事部に行くふりをして、遅い昼食をとりに近くの蕎麦屋によく行ったことが懐かしい。

 

新入社員教育は富士山が真近に見える富士吉田の民間の施設を借りきっていつも実施した。新入社員を4組に分けて、4泊5日の研修を4回連続で実施した。新入社員研修はいつも、40人のセンターの人員が総勢で取り組む一大イベントだった。交代で実施するのだが、私は全体を統括する責任者としてずっと4回そこに居続けなくてはならなかった。最終の組が終わってそこの施設を後にした時、私は決まって、監獄から解放された、と安堵した。

 

頬にあたる風は既に5月の緑の風だった。舟木一夫の唄を口づさみながら施設から坂を下った。街の匂いが懐かしかった。ああ自由がもどったんだと、いつも感慨が溢れてきた。時には涙さえ流れた。牢獄のような重たい重責から解放された心地よさが私を包んだ。光がまぶしく私の身体を照射してこれが自由なんだこれが娑婆(しゃば)なんだと嬉しかった。毎年繰り返したことだが、あの自由の解放感の感触は一生忘れない。

 

55歳で企業を離れて、ハローワークの窓口で12年仕事をした。67歳で介護離職して、義父の介護を妻と一緒に行った。義父の介護は3年で終了した。70歳で私は自由になった。さてこれから何をして生きて行くか、と自分に問うて、その答えは哲学に生きると決めた。外的キャリアはもう卒業だ、これからは内的キャリアを磨こう、と想った。

 

今日感じたこの「寂しさ」は何だろう、とずっと一日考えていた。それは郷愁かもしれない。あるいは、私の中に外的キャリアへの未練がまだあるのかもしれない。新入社員、新しい年度の始まりという時の流れが私を企業組織へと連れ戻すのだろう。あんなに葛藤の中にあった組織人としての生活なのに何故それに郷愁があるのか…多分、きのう書いた暇と退屈の倫理学の国分功一郎の余韻がそうさせているような気もした。「人は刺激を避けるけれど実は刺激を求めている」という彼の考察が思い浮かぶ。刺激が欲しいんだ、その刺激がないことがとても寂しいんだ、と言う整理に行き着いた。

 

勤労係長総務課長教育課長経営推進室主幹人事部長関連会社常務取締役と歩いた私はずっと組織の体制側で仕事をした。その私がハローワークに非正規の労組を立ち上げて委員長として、東京労働局長と向き合ったことは、初めて組織に抗った経歴だ。そこで私の外的キャリアは終わった。最後に組織に抗う体制とは反対の立場を経験して連合や自治労の人たちと意見交換できたキャリアは、特筆できる私の尊い外的キャリアとして自分に達成感と満足感がある。それでいいではないか、それでもう十分ではないか、これ以上どんな外的キャリアを求めるんだという声が私の中から聴こえる。外的キャリアよりも内的キャリアの方が人間としての魅力は上でそれを磨こうと決めたのではないか、そんな声が続く。ではなぜ、寂しいのだろうか…

 

私はどんなに時間が余っても決して暇や退屈にはならないという自信がある。何もしない時間に限りない価値を感じているからだ。音楽を聴き、自然を眺め、こうしてブログを書きながら哲学するこの時間はかけがえのない至福な時間だ。だから、時間があって何をしよう何もすることがないという、暇と退屈の倫理学で国分功一郎が指摘した「刺激のない世界への恐怖」は私にはない。私は独りが好きで無限に自分自身で「刺激」を創造できると整理しているから。

 

でも、新年度、新入社員と言う言葉は私に「寂しさ」を持参した。その場にいられないことの無念さがあることも事実のようだ。葛藤の連続だった、あの組織の中に帰ろうと私の魂が想っているとは思えない。でも、一つだけ願いをかなえてあげると神様が言ったら、あのさらに過酷だった受験戦争の中に帰って行きたい、そこで精鋭どもをなぎ倒して1番になりたい、と神様にお願いするのではないかとこの前想って愕然としたことも事実だ。人間の欲や業は人間のエネルギーでもある。マイナスだけでなく全ての原点でもある。私はまだ枯れてはいないのだ、と整理することでこの「寂しさ」を治めた。

 

仮に今、私が企業に戻って、新入社員教育を担当するとして、私は新入社員たちに何を語るのだろう。多分、偉くなれ、出世しろ、社会に役立て、負けるな、等の言葉は彼らに投げかけないだろう。外的キャリアよりも内的キャリアを磨けと言うだろう。「それは何故ですか」、と問われたら、「人生は自分との勝負だから、自分に勝つとは自分を納得させることができるということだから、他者を納得させることより自己を納得させることの方がずっと難しいから」、と言うのだろう。

 

そして、人生は芸術だから、芸である「想い」を術である「言葉」、即ち「生き方」で示せ。その生き方は自分で見つけるしかない。その力は、人と逢い、自然と逢い、芸術と逢い、本と逢う中で育まれる。嫌な人でも避けるな、自然を見て親しめ、芸術を鑑賞しろ、本に接しろ。仕事は結果であるけれどその過程が自分で納得できて自分で満足できればそれで十分だ。評価は気にするな、評価は自分自身が自分にすればいい。外的キャリアよりも内的キャリアを磨くことが人生を生きる大きな力となる。そういう態度で仕事を大きくしていけ。と言うだろう。

 

(2024年4月1日 記)