「新しい命、反田恭平のピアノ、諸々のこと…」(NO293

 

  2月4日から止まっていたこのブログの針はまた動き始める。2月24日という特別な日を経過して今日は3月24日、50日ぶりのブログ発信を自分で祝いたい。

 

長女が二人目を出産して大喜びしたのもつかの間、赤ちゃんに母体との血液不適合による早発性黄疸症状が出て、生まれた(2月24日)次の日には、設備が整っている順天堂浦安病院に赤ちゃんは緊急搬送された。光線療法で黄疸値を抑えながら、血液全交換輸血の危機を切り抜け厳しい状況を脱して3月12日に赤ちゃんは無事退院した。

 

もうすぐ喜寿になる私なのに二人目の孫ができた。初めての孫はこの4月に1年生に入学する。その子は長女のお腹にいる頃からずっと見てきているのでとてもかわいい。4歳を過ぎるあたりからの急速な成長は目を見張る。女の子だからおしゃまだ。最近は、「じいじ、いつまでもテレビ見てるから朝あと10分と言って2時間も寝るんだよ」、寝る前におしっこは行ったのと言うと、「じいじ、おしっこは赤ちゃんに言う言葉だよ、もう、トイレと言わないといけないんだよ」「じいじ、ひげくらい剃りなさい」などと口やかましい。そんなことが整理して言えるようになったことがとてもうれしい反面、これから成長していくと何を言われるのか、まるで説教ばかりされるのではないかという不安もある。

 

それでも、一人っ子と決めていた子に妹ができたことがうれしい。お姉ちゃんになったその子も大喜びしている。しかし、その生まれた新しい命はこの人生に出て来るなり早々に大きな試練にぶつかった。でもその試練を生きることに懸命にチャレンジして無事に切り抜けた。その子に生命力(その子に流れる時間)があれば元気に退院してくるだろう、そのことを祈った、同時に私のこの命と引き換えに新しい命を守って下さいと祈った。だから2024年2月24日は私の命は終了して新しい命に引き継がれたと思っている、いつお迎えがきても泰然としていられる覚悟がやっと一層強くなった。

 

「人生は悲しみと困難に溢れている」と私は整理している。悲しみは、濡れ手で粟を掴むように、どんどん入って来るのに、喜びは、両手を広げていても、なかなか掴めない。やっと掴んだ喜びも、両手の指の隙間からすぐにどんどん逃げていってしまう。人生はどうしてこうなっているのか。出産の歓喜は一転不安と悲しみへと変わった。それでもその悲しみは希望へとまた繋がった。新しく出て来た子の名前は、奏乃(かの)ちゃん。姉と同様に美しい音を奏でるようにと奏乃ちやんだ。姉は絃(いと)、これも音楽に由来する。3歳からピアノを始めてこの前はヴェート―ベンコンクール本選で金賞をとった。奏乃ちゃんもお姉ちゃんの後を追ってピアノに向う日を楽しみにしていたら、先ずはその前に大きな人生の試練に晒された。

 

NICU(集中治療室)での20日間近い懸命な治療で、なんとか元気に退院できたが、出産が母子にとって大きな危険と背中合わせにあることをしみじみ思う。母体にとっても赤ちゃんにとっても、大変なことなんだという認識を改めて感じた。軽々に少子化を改善するために生んで下さいということはとても、簡単には言えないことが理解できた。大きな覚悟が子供を産むということには必須なのだ。仕事で、といっても夜はほとんど飲み会で帰宅はいつも午前様、休みはゴルフ、家にいる時はゴロゴロと寝ていたり、起きている時はテレビでスポーツ観戦ばかりをしていた私は、子育てをスルーして来た。団塊の世代はほとんどそうだろう。

 

孫の成長をずっと見る機会に接して、子育てと言うものが初めて分かった気がした。そして出産の大変さも今回改めて思い知らされた。妻はつわりが酷く最初の子の出産は母子ともに生命の危険に晒されて母子ともにかろうじて一命を取りとめたのに、その認識が私にはもう遠い存在となっていた。やっと憎まれ口を叩けるまでに成長した絃(いと)ちゃんで卒業と思っていたらまた一から出直しの新しい命が出てきて、孫育てが始まる。「しっかり孫育てをさせてね」と懸命に頑張っている新しい命に向かってNICUの外からその時私は心で叫んでいた。

 

赤ちゃんの誕生、新しい命の誕生は本当に神秘的で奇跡的なことだ。人間に限らず、新しい命の誕生はかけがえのないことなのだと思う。その分、大きなリスクも伴う。医学が発達していない昔は生まれた赤ちゃんは多くがその命を失っていった。中には母子がその命を失った。医学の発達は歳を重ねた人の命を守るのと同様に、生まれたばかりの命を守っている。とても偉大なことだ。でも、年寄りにしても赤ちゃんにしても、その人の中にはその人の「時間」が流れている。人はその時間を生きる。そしてその時間は長い人も短い人もいる。いわゆる寿命というものだ。その人の中を流れる時間に身を委ねた時、生死を超えて瞬間の命を愛おしむことができる。これはもう神の領域だ。そんな境地で生きて行きたい。

 

私は2月20日にサントリーホールで反田恭平のピアノを聴いてきた。長女が緊急入院して、一番とりにくいという反田さんのピアノのコンサートS席2枚を一度はあきらめたが、いかにも勿体ないということでドタバタの緊急時を押して私が代表して聴いてくるということになった。危機を押して聴いた彼のピアノは圧巻だった。感動した。その感動をこのブログに書いて皆と共有したいと思った。その矢先、長女の出産と新しい命の異変があり、1ヶ月余が過ぎた。その感動をここに書き残さなくてはとても勿体ないと思ったが、この騒動の中に、遙かに遠くへ行ってしまった。でも、やはり奏乃ちゃんの誕生と共にここに書いて置きたい。奏乃ちゃんが大きくなってこのブログを見て懐かしめるように。以下は反田恭平ピアノコンサートの実況中継だ。

 

様々な複雑な想いを胸に私はサントリーホールに独りで向かった。反田さんのピアノの感動を代表して聴いて皆に伝える役目が私にはある。その一点しか私の心にはなかった。視点は、「反田さんのピアノは他の人とは違うのか違わないのか」ということだった。違うとしたら何がどこが違うのかを明確にすることだった。結論として彼のピアノは他の人とは違っていた…

 

ホールに入る前に「その日の前段」があった。昔バブルの時によく遊んだ六本木なのに、その明かりとオシャレな街のたたずまいとそこを歩く人の装いと気高さは改めて私を魅了した。ここが東京なんだ。眩しいばかりのそれは、限りない郷愁も同時に運んで来た。忘れていたことがここにまだあったんだ、と私は感激しながら歩いた。

 

お腹がすいていた。おしゃれな店しかない中でやっと接触できそうな店を探してチョコのケーキとブレンドコーヒーを注文した。外で食べようと席を探したがどこも空いていない。相席の一つ空いていた椅子に断って座った。そこから20-30分間のコンサート前段のトークがとても印象的で楽しかった。私と同じくらいの老夫婦との相席、ご主人は笑顔で迎えてくれたが、奥さんは邪魔よという雰囲気で知らんふりだった。「反田さんですか」、とご主人から声をかけてきた。そっぽを向いて食べていた私は振り向いて「そうです」と答えた。「よくチケットとれましたね、よくここに来るんですが反田さんのチケットは初めて取れて今日が初めてです」とご主人。内田光子のリサイタルをここでよく聴いているとのこと。「皇室が来た時もすごかったですよ」とのこと。

 

ピアノの話になり、「私はアルゲリッチのCDを全部持っているんです」とご主人。「そうですね彼女のピアノは歯切れが良くて小気味よいぱりぱりした音が私も好きです」と答えた。「反田さんのピアノが他の人とは違うのかということが今日の私の視点です」と言うと、「そうですね、でも、やはり音楽は好みの問題ですね、上手い下手ではなく好き嫌いですね」と言う。知らんふりしていた奥さんも会話に入ってきた。「お一人ですか」「はい、いろいろ事情があって私が代表して聴きに来ました」と私、「80歳を越えてこうしてここで美しい音楽を聴けること素敵な芸術に触れられることが生きている大きな楽しみです」と奥さんはしみじみと言った。その時もう最初の気まずさはすっかりなくなっていた。開演時刻が近づいて、それではと別れた。でもこの同じくらいの人生を歩いてきた人とピアノの話が心からできてうれしかった。

 

手に入れたS席はステージの真横にあり前から3列目、手を伸ばせば指揮者に届くほどの絶好の至近な席だった。ぐるり会場を見渡してみた。そんなに大きくない会場はどこの席でもしっかり音楽を聴けるいいホールだなと思った。またここで素敵な音楽を聴きたいまた来ようと思った。第一ステージの「モーツアルト:歌劇ドン・ジョヴァンニ序曲」は若い音だなと思った。反田さんが組織して学生中心に精鋭を揃えたオーケストラだが、音色は東京フィルのようなプロの熟練した重厚なハーモニーの方がいいなと私は思った。第二ステージ、反田さんのピアノを聴ける「モーツアルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調」だ。聴きながらノートに書いた言葉。音が生きている、音が重なる、はぎれいい、ぱりぱりしている、音に色がある、ピアノで語っている、爆弾のような音だ、音が何重にも響いている、深い…

 

終わって言葉にならない感動があった。この感動を独り占めしていいのかという想いがあった。そして残された人生でこれと同様な感動を、他者に社会にGIVEしたいという沸々とした想いがこみ上げてきた。それは自分の個性の発揮でしかない。魂を磨いて精進したいと思った。そして、ピアノの結論として、やっぱり技術を磨くこと、しっかり弾けること、そして自分でしか出せない音色佇まいを追求すること、これは人生と同様だ、と想った。

 

第三ステージは「ブーランク:ピアノと18の楽器のための舞踏協奏曲『オーバード』」第一ステージと同様な感覚があった。音が若いのだ。プロのオーケストラというよりも、えりすぐった学生のオーケストラだった。

 

第四ステージは「ラヴェル:クープランの墓」、充分に反田さんのピアノが聴けた。オーケストラも私の耳が慣れたのかとても重厚ないい響きを奏でていた。曲の違いもあるかもしれない。美しいそれでいて強い、一音一音が聴こえる、アクセントがある、楽しみながら弾いている、ピアノのソロがまるでオーケストラのように聞こえる、まるでこれは虹だ虹が音を奏でている、真っ青のブルーの中を大空高くコンドルが飛んで行く、鍵盤の魔術師、歌ってる、多重で響いている、あられのような音、清い急流とぶつかりながら川底の石ころを川岸に跳ねながら流れている音…アンコールは「トロイメライ」だった。あんなに激しくキーを叩く人がこの静かな曲を弾く。そこに反田さんのトロイメライがあった。その感動のままでは電車に乗れなかった。溜池山王まで歩いた。駅の近くでコーヒーを飲みながら反田さんのピアノの余韻に浸った。

 

これを書いている時、尊富士が110年ぶりに新入幕優勝を果たした。右足のけがをおしての命がけの捨て身の出場で見事勝った。34年ぶりに日経平均もバブル後の新高値を記録している。失われた30年と呼ばれた低迷期を本格的に脱することができるかが焦点だ。そして、大谷も降ってわいた試練を何とか切り抜けて欲しい。ベーブルース以来の逸材、ベーブルースを超える不出世の逸材を我々は失いたくない。感動は人間にとって一番大切なものだ。その感動を創れる反田恭平のピアノも凄い。感動はでも万人が創造できると私は確信している。魂を磨けば誰にでもその個性は感動の原点だからだ。残りの人生、魂を磨き続けたい。そしてできれば私も他者に社会に感動を届けたい。(2024年3月24日 記)