大晦日から元旦へ(NO286

 

 はじめて紅白を中座した。子供の頃からずっと宝物にしていたものを失った気がする。とてもいたたまれなくて中座してこのブログを書いている。ここ数年、紅白はほとんど知らない曲に覆われていた。でも、まんじりともせず決して中座することもなくトイレに行く時間も惜しんで見てきた。それなのに今日の紅白は明確に違った。何か疎外感を感じたのだ。早稲田の1年生の時に学生運動で大学からロックアウトされたその時の寂しさがある。何故だろう、どうしてそんな疎外感と寂しさが私の中にあるのだろう…

 

紅白を10年以上もずっと仕切ってきた名物チーフディレクターの島田源領は私と中学高校の同窓だ。彼が死んでチーフディレクターは2-3年前に交代した。彼が演出していたら、今日私が感じたこの疎外感は決してなかったはずだ。新しいものを取り入れながら、一番数が多い団塊の世代のことは必ず彼の頭の中にあった。だから、知らない曲が増えても、中座なんかをすることはなかった。でも今日の紅白は違った。全く自分の中に入ってこない。全く心に響いてこない。私が悪いのか、紅白の演出が悪いのか。どちらだろう…

 

紅白は歌番組である。これはNHKの会長が明言している。しっとりと歌を聴かせて欲しい。知らない歌でもいい、聴いて、ああ、いい歌だなあと思えればいい。それなのに、今日はまるで歌を聴かせるのではなく、ほとんどの舞台は踊り(ダンス)で彩られていた。歌を聴こうとしてもダンスの方に気をとられてしまって、集中できない。司会も含めて何か、どっしりした歌番組だという自負を失ってしまって、華やかさに心を奪われてしまっているような気がした。舞台が賑やか過ぎて派手すぎて人が多すぎて、じっくり歌を聴く環境になく、まるで全ての歌手の舞台がお祭りに彩られてしまっている。だんだんイライラしてきた私はついに中座を余儀なくされてこうしてブログを書く羽目になった。

 

昭和はどんどん遠くなっていく。世代の違いも分かる。テレビから若者が去っていく時代。でも、もう喜寿を迎える我々団塊の世代と、20代30代40代50代は共生しなくてはいけないのだ。お互いに理解しあって豊かな文化を創造していかなくてはいけないのだ。世代は違ってもその共生をする力が人間力だ。今、「ふきのとう」が流れている。若い人は知らないだろう。でも、その曲を聴けば必ず若い彼らの心には響くはずだという確信もある。そうなら、今日の紅白の私が知らない曲も、聴けば私の心を打ってほしい。でもじっくり聴く前に、様々なことが邪魔をする。ダンスであったり、お祭り騒ぎであったり、何か気ぜわしい演出であったり、それは多岐に渡って、歌っている歌詞や歌唱を味わう余裕が私からなくなる。そうした繰返しがこの中座に繋がったのだろう。これで76年ずっと縛られてきた紅白から解放されるという想いもある。それは私にとっては昭和からのサヨナラを意味する。と、ここまで一気に書いてきた。この想いはNHKにも送って読んで欲しいと思っている。さて、戦争に明け暮れた2023年ももうすぐ消える。そして新しい年2024年が来る。

来た年賀状の返信として私は次のことを用意している。

 

『古稀から年賀のご挨拶を失礼させていただいています。早々の賀状をいただきありがとうございました。今年は辰年です。辰は十二支の中で最も縁起の良い干支とも言われ、様々な願いを叶えてくれるだけでなく、あらゆる物事をいい方向へ導いてくれる力があるとされています。 少子高齢化のこの困難な時に、日本にそして世界に素敵なことが訪れて欲しいと願います。2040年には労働人口が1200万人も減って、2054年には、4人に1人が75歳以上となります。この国は大丈夫なのでしょうか。子供や孫達の時代が豊かであって欲しいと願います。そして人間の「欲と業」による戦争もなくなっていて欲しい。実在しない幻の龍がこの難しい問題を解決して欲しい、そんな想いの新年です。皆様にとって幸多き年になりますよう祈念致します。今年もよろしくお願い致します。』

 

これはこのブログを読んで下さっている皆様への言葉ともしたい。ブログを2023の後半はめっきり書かなくなった。書かなくても生きていけるようになったということもできる。何かを失っても、まだ自分にあるものに感謝して生きていきたい。この人生は、悲しみと困難に満ち溢れている。でも生きる限りはその瞬間を豊かに生きたい。

「上をみたらきりがない、下をみてもきりがない」とこの前、誰かが言っていた。これは、他者との比較よりも、自己の中の比較という視点が大切なことなのだと最近思う。順風満帆な時も、失意のどん底にあるときも、その「時」を受け止め受け入れることで、その困難と葛藤に向かう力が自分のなかに出て来るのだと思う。生きていると、病気や事故や天変地異は背中合わせにある。何か重篤な病気を宣告されても、まだ、自分は、目が見える、耳が聞こえる、身体が動くと、思うことで生きていけると思う。失ったことを追い求めるのではなく、まだ、自分にあることを、しっかりみつめてそのことに感謝して生きていきたい。そのことが、豊かな人生の原点のように思う。

 

日本をここまで豊かな国にしてきた自民党はいったいとうどうやって、これから国民の信を得ていくのだろう。安倍派は早晩解体するのではないだろうか。安倍さんが長く政権の座にあった間に安倍派にこびりついた垢は簡単には一掃できない。自民党の右派は安倍派、一方、今の岸田さんは安倍派と正反対の自民党左派の宏池会。自民党は左右合併でできたが、右の武闘派は岸信介から続く安倍派、一方左派は、お公家集団と揶揄される大人しい政策優先の吉田茂から続く宏池会。保守とは守るだけではなく、古きを訪ね新しきを知る、という進取の気性がなくてはならない。いわゆる温故知新、不易流行、新しさを求めながらも古き良きものを捨てない精神が必須だ。

 

自民党がこの難局を乗り越えて国民の信を取り戻すことは簡単ではない。選挙も近い。ここは、心機一転、自民党を解体するくらいの新しい改革派で舟をこぎ直して欲しい。総理大臣には林芳正、官房長官に小泉進次郎、防衛大臣に石破茂、財務大臣に河野太郎、がいい。国会対策委員長は女性を起用して欲しい。今度の選挙での国民の審判にもとても興味がわく。

 

中座からこれを書いて紅白に戻ったら私の紅白がそこにあった。「さだまさし」あたりを頂点にして、全ての歌がしっとりと私の心に入ってくる。紅白は健在だった、うれしかった。少子高齢化という最難関にある日本。各政党は足の引っ張り合いをやめて、この国をどうするかを真剣に建設的な議論をして欲しい。国家総動員法や大政翼参会は、戦争決行のためにできたが、今や、国の存続が危ぶまれる事態にさしかかっている。国家をあげて、豊かな国づくりにまい進するべき時だ。徴兵で赤紙で戦場へ命を捨てに行く若者がいないだけでも今は幸せだ。この幸せを更に全員の豊かさへ向かって推し進めたい。誰かに託すよりも私はそのために何をすべきなのかを考えたい。 (2023年から2024年への時が流れる時に記)