このところ,この五月の連休は,人混みを避けて,比較的近郊の山に登ることにしている。今年も県西部の中国山地にある二つの山に登った。ガイド・ブックに載っているような有名な山だけが名山というわけではなく,あまり知られていない山の中にも気持ちのよい山がたくさんある。

 

ただ,最近,あちらこちらで熊が出没するという話を聞くので,できればグループでわいわい話し声を立てながら登りたい。熊は,基本的に臆病な動物で,夜行性だし,山登りに出かけていて熊と正面から対峙するような確率は,飛行機が墜落するのと同じくらいだから,そんなに心配しなくても大丈夫と言われても,鬱蒼とした森の中で,笹の藪がごそごそという音を立てると,思わずびくっとしてしまう。

 

強い風が吹けば,少々の話し声などは森の音の中に消え入ってしまうし,鈴を付けていても,そんなもので熊よけになるのかという不安は完全には払拭できない。熊さんに聞えるように,できるだけ大きな声で話しながら静寂の森を進むと,小鳥のさえずりや沢のせせらぎの音に癒やされて,いつの間にか熊のことなどは忘れてしまう。

 

最近は,熊よりも,スズメバチ,マムシ,マダニなど,様々な脅威が伝えられているが,これまでの数十回の山行で,そうしたものに出会ったことはない。ただ一度だけ,何の蛇かは知らないが,知らずに踏みつけてしまって,踏まれた蛇がのたうち回って逃げて行ったことがあり,可哀想なことをしてしまったことがあった。

 

山に登る人達のほとんどは,良心的な人達で,会えば必ずお互いに挨拶をするし,狭い道は気持ちよく譲り合うので,彼らとの一瞬の出会いと別れは,本当にホッとするひとときだ。もちろん,ゴミなどを捨てる人はいない。ただ,残念ながら,近くまで車で登れるような山では,時々,紙くずなどが一切れ落ちていることもある。

 

自分たちのゴミは,おにぎりを包んでいたビニールの端切れが風に飛ばされても必ず回収するようにしているが,他人が捨てた汚いものを拾う気にまではなかなかならない。だが,どこかで読んだ本に「ゴミを拾うことは運を拾うこと,捨てることは運も捨てることだ」と書いてあった。

 

子供の頃,どんなに小さなことでも悪いことをすれば神様が見ていると「天網恢々疎にして漏らさず」という言葉を教えられたものだが,それと似たような,少し違うような一種の格言みたいなものなのだろうが,これは的を射ている言葉だと思う。因果応報という言葉もあるように,自分が他人や世間や山を含む地球に対してしたことは,巡り巡って自分に返ってくるのだ

 

これはビートルズが「ジ・エンド」で「あなたが受け取る愛は,与えた愛に等しい」と歌ったことにも通じる。

 

ロシアなどの多くの国のアカデミーの会員になった,知る人ぞ知る五井野正という人もゴミ拾い運動が始まりだったという話もあるし,アルピニストの野口健さんも富士山の清掃など地道な活動を続けてきた人だが,単なる登山家ではなく多方面で才能を発揮している。

 

僕が,一つたりとも優れた功績をあげられないのは,ゴミを拾うということ一つ取っても彼らのような当たり前の行動ではなく,いいことしている気になってやっているからなのだろう。無意識にできるようになりたいものだ。