パーティや多くの人たちが集う場において,政治の話と宗教の話題がタブーとされているのは常識だが,UFOを信じるかとか,死後の世界があると思うかという話をすることは,絶対に避けなければならないというほどの話題でもない。そして,ちょっとした友人・知人の関係を超えて,本音で話ができる信頼できる相手に対しては,そんな話もそれなりにできるようになる。

 

 昔からの友人とお酒を飲んで話が盛り上がったとき,思い出話をする中で,自分が中学生の頃,死ぬことが怖くてたまらず,泣いたこともあったという話題になった。

 

   思春期には,人生とは何か,何のために生きているのかと考えると同時に,死ぬとはどういうことか,存在がなくなってしまうということは,こうして考えている自分も全くなくなってしまうということなのか,そして,ならば,自分は何のために生きているのかなどと答えの見つからない暗闇の中で恐怖におののいた経験をしたことは誰にでもあるはずだ。普段は,そんな話をする機会もなければ必要もないのだが,彼も全く同じ気持ちになったことがあったと話してくれた。

 

   お互いに年齢を重ねるうち,そうした感情や漠然とした不安は知らず知らずに忘れてしまったり,どうでもよくなったり,仕事や様々な切実な問題に傾注することによって哲学的な思惟を巡らす精神的なゆとりもなくなってしまい,結果的にそうした不安や恐怖心を払拭してきたのだろう。死後の世界の存在を否定する人も少ないが,あるとは思えない,信じていないと言う人は多い。死んだことがないのだから,絶対にあるはずがないと言い切ることも難しい反面,存在すると断言する根拠を持っている人もほとんどいない。

 

    ただ,その理由の中で,これまでにも多くの人たちが論拠としてきたものに,魂の数の問題がある。つまり,仮に肉体と別に魂というものが存在するのなら,太古の昔,アダムとイブまで遡るとまでは言わないまでも,人口が数千万人だった頃の魂の数は,やはり数千万だったはずだ。ところが,今世紀,数十億人にまで人口が増えているのに,魂が生まれ変わるというのであれば数が足らなくなるではないかというのだ。

 

  確かに,一つの魂が輪廻転生を繰り返し,何度も何度も生まれ変わってきたのだとすれば,数千万個が数十億個にまで百倍に増えたことは説明できないという話だろう。逆に言えば,一つの魂が百個に分割したと仮定すれば計算は成り立つが,魂が百分の一になったものが果たして同じ魂と言えるだろうか。クローンのように全く同じものが百分割されたというのなら,世界中の人々の,百人に一人は,元は同じ魂だったということになり,おかしいではないかという理屈だ。それで論破した気になった人がいるようだが,それがそもそも尊大だと思う。

 

  現代は科学が発達し,多くの物理現象や天体の動きも数百年後の位置も含めて正確に予測できるし,人間という生命体の構造も分子レベルで解析できると言われている。だからといって宇宙の仕組みのどれだけが分かったというのだろう。まだ宇宙の4%しか分かっていないと言われているし,クローン人間だって作れるとさえ言われるが,それは物体としての人間であって,実際には人工血液ですら実験段階で,人類はまだ細菌一つ作ることはできない。

 

    魂の数が合うとか合わないなんていったいどういう頭で言っているのだろう。地球以外にも無限に星はあり,人類以上の生命体もほぼ無限に存在していると仮定すれば,小さな島の人口が合う合わないと言っているようなものだ。肉体と魂が別のものだと考える根拠はたくさんある。