訃報は悲しいものだと相場が決まっているが,すでに何人も肉親を亡くした僕が久しぶりに,本当に寂しいと感じた訃報に接した。

 

  9月12日に亡くなったというから,もう2週間以上も前なのに,知らなかった。

 

 「チャッピー」と聞いてもピンと来る人は少ないだろう。「パロッツの」と言っても,ほとんどの人が知らないはずだ。ビートルズのコピーバンドとして日本で最高のバンド「パロッツ」のジョン役を永年にわたって務めていた吉井守さん。

 

  僕は,7月下旬に初めてパロッツの演奏と歌を聴いて,そのビートルズ愛に感激して,このバンドのライブに連れて行ってくれた息子と夜更けまで感動を語り合った。できるだけ早いうちに,もう一度,彼らの主戦場,六本木の「アビイ・ロード」を再訪したいと思っていたのに。

 

 「そんな…」としか言えない。あんなに元気に歌って演奏していたのに,信じられないという思いだ。記事のタイトルを見たとき,亡くなったのはジョンのことで,その役をやっている吉井さんの紹介記事だと思った。

 

 62歳,急性心筋梗塞。僕は,コピーバンドの存在はテレビなどで昔から知っていたが,ビートルズ熱が高じてあそこまでやる人は偉いなあとくらいにしか思っていなかった。だけど,初めてパロッツの生演奏に接して観方がまるで変ってしまった。ビートルズのどこがそんなに凄いのかということを改めて教えてもらった。初期の,映像も音質も悪いライブしか見たことのない一般のビートルズ・ファンにとって,彼らの実際の演奏がどんなに熱くて迫力があったのかを再認識させてくれる。そんなパロッツだった。

 

 やっと知り合えたのに,すぐに死んでしまった恋人,日高美奈さんを失った星飛雄馬のような心境だ。せめて,もう一度,チャッピーのいるパロッツの演奏を見て,聴いておきたかった。

 

  彼のこだわりは,記事からも分かるが,「ジョンのリズムは,下から上に乗るのがコツ」と言い,「拍子の裏にアクセントを置くビート感」をまさに体現していた。コピーバンドにとって一番難しいジョンのボーカルを,彼は日本人にもかかわらず,声質,しゃがれ具合,裏返し方など細かいところもジョンになり切ってやっていた。

 

MCの「今日はどんどん飲んでください。酔えば酔うほどパロッツが本物のビートルズに見えてきます」という台詞も最高だった。知っている人には耐えられない死だ。

 

パロッツがいかに素晴らしいコピーバンドだったかということについては,ポールが2013年に来日したとき,宿泊していたホテルのラウンジで開いた内輪のパーティで,パロッツがポールの目の前で19曲ものビートルズ・ナンバーを演奏したというだけでなく,18曲目の「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」では,ポール自身がステージに上がって,愛妻のナンシーのためにパロッツと共演し,吉井さんに「ジョン」と声をかけたことでも明らかだ。

 

このことだけでも,いかに彼らの演奏がビートルズを愛し,尊敬し,本気でやっていたかがよくわかる。彼らの演奏を観た人なら,誰でも,本物のジョンが亡くなったわけじゃない,なとどは決して思わない。ただのコピーバンドのメンバーの死ではなく,ジョンを再び失った悲しみ。吉井さんの死はそれほどショックだ。

 

心からご冥福をお祈りし,この世でのわずか4時間ほどの邂逅に感謝したい。