370 壁影さん | 鰤の部屋

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数年の時を経て気まぐれに更新を始めたブログ。
ネタが尽きるまで、気が済むまで更新中。

「これは本当にあった話だが……」
 怖い話を始める時にこの言葉から始めるのは暗に作り話だと言っているのと同じ事だと俺は思っていた。
 この考えはわりと多くの人が共感してくれるものだと俺は考えている。
 つい最近俺にこの言葉から始まる怖い話をした友人が居たが、話を聞いても俺は怖がらずによくそんな話を考え付くなと思うだけだった。
 壁の中には寂しさから人を壁の中へ連れ込もうとする壁影なる存在が居るなんて話、よほどの怖がりじゃ無けりゃ作り話だって思うに決まっている。
 因みにこの話を聞いたら数日以内に壁影さんに目を付けられて連れて行かれるとも言っていた。助かる方法は、この話を他の誰かにする事だというずいぶんとベタな救いの方法も言っていた。
「なんとまぁ……」
 呆れてそれしか言葉が出なかった。

 この壁影さんの話を聞いてから数日後、話をしてきた友人が行方不明になった。
 他の人にも壁影さんの話をしていたみたいで、助かる方法は嘘だったとか、話を聞いた人全員が連れて行かれるなんて話があっという間に広がっていた。
 ただの急な用事だろうと俺は対して気にもせず、落ち着いて一日を過ごしたね。
 でもその帰り道だ。俺の家の前の道は普段からあまり人が通らない道だった。夜になればそこらの人が怖い話を聞いて怖いと思う程度の怖さを感じられるほどに。
 俺的にはどうって事無い道なのだけれど、この日は違った。夜で人が居ないのはいつもの事だったが、やたらに視線を感じるのだ。
 何度振り返っても姿は無くて、気味が悪い。そこで気付いたのだけれど、俺はあの壁影さんを無意識下で怖がっているらしいのだ。
 だからだろうか、途中で外灯を見つけると妙にほっとしていた。
「少し落ち着いていこう」
 明かりの下というのは安心というか安らぎを感じられる居心地の良い場所だ。
 二分くらいそこに居たと思う。気持ちが落ち着き、一気に家に帰ろうと進む先の道へ目をやった時、俺は固まった。
 蘇ったのは消えた友人が話していた壁影さんの話。
「壁に人の影が見えたらその影は壁影さんなんだってよ」
 こんな事を友人は言っていた。
「はは、無い無い。俺の影が壁に映ってるだけさ。ほうら――」
 なんとも無いさと確認するため俺は先ほど横目に入った人の影を真正面から見た。
 すると明らかに意思を持った真っ黒な腕が伸び、抵抗する間も与えず俺を壁の中へと引き釣りこんだ。
「おい、なんだよ、どこだよここ」
 自分の声が反響せずに聞こえていた。
 真っ暗な空間、フワフワとまるで無重力の中で浮いているような感覚が俺を襲った。
 不安で、落ち着かなくて、寂しい、そんな感情が俺の心を蝕んでいく。
 そして頭の中に浮かぶ壁影さんの話が浮かぶ。
(寂しいから仲間を増やそうとするか……。確かに寂しいな。誰か居ないだろうか?)
 人を探そうと、進んでいるのかも分からない空間で泳ぐ真似をしていると、遠くに明かりが見えてきた。その明かりは近づくほどに人だというのがはっきりと分かった。
(人だ、人が居るぞ)
 見つけた人は友人が居なくなって怖がっていた内の一人だった。
(この際誰でもいい。あの人を捕まえよう)
 感覚が麻痺していたのかもしれない。助けてもらおうでは無く、一緒に居てもらおうとして手を伸ばしたのだから。
 そして引きずりこんだ壁の中の世界。けれどもそこに捕まえた人の姿は無い。
 俺は一度覚えた喜びを消したくなくて、再び誰か居ないか真っ暗な空間を泳ぎ始めた。 


終わり



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