「あんた、何年部屋の掃除してないの。もうすぐ大晦日なんだから掃除しなさい。掃除は心の洗濯なのよ」
と本日、とうとう母に怒られてしまった。このままでは毎年楽しみにしているお雑煮が私の分だけお澄まし汁になってしまう。
それは困るから私は渋々ながらも掃除を始めた。
さて、部屋の掃除が終わるまでの間、あっさりとだが私の部屋の様子を説明しよう。徹底的にざっくりとしか説明しないので、理解して欲しい。
まず、私の部屋は汚部屋では無い。たとえ何年も掃除していなくてもだ。それから、私の部屋の“物”は綺麗だ。どれくらい綺麗かといえば、くっきりと境目が出来るほどに綺麗なのだ。かつてモーゼは海を二つに割った。それはもうくっきりと、真っ二つに。それくらいはっきりしているのだ。そして極めつけ、私の部屋は汚れてはいない。そのほとんどの物に汚れがつかないように被膜で包まれているからだ。被膜というのは少々大げさかもしれない。だからコーティングされていると表現しよう。新品時の手触りはそのコーティングを拭き取らねば実感できない。だからコーティングが無くならなければ物が汚れる事は無いのだ。
といういう訳で掃除を始めて六時間ほど。母が再度部屋へやって来た。
「なんだい、やれば出来るじゃないのさ。これからはこまめに掃除しな、ね」
「バーブー」
部屋は綺麗になった。そして私の心も綺麗になった。ただ、綺麗になりすぎて、心は赤ん坊のようにまっさらになっていた。
終わり