終戦の日に想う~戦争に行けなかった父と祖父~ | 今日のつぶやき...

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今日は、79回目の終戦記念日ですね。 

 

我が家で知っている限り、徴兵されて戦地に行った家族はいません。

 

当時、対象になる家族として、祖父と父がいました。

なぜ、徴兵されなかったか。

徴兵検査で不適合と判定されたからです。

理由は栄養失調。

 

私の生まれる前の我が家は戦争が始まる前から日々の食事も大変だったようです。

家族は祖父母とその子供5人?6人?

(6番目に男の子がいたのですが、百日咳で亡くなっています)

5番目の女の子が産まれて、祖母はリウマチを発症。治療費にかなりかかったようです。

 

私が小さい時に祖父から祖母の病気の話を聞き、かかった治療費のことについては、

「家が一軒建つくらいかなぁ...わっはっは!」と、笑い飛ばしていたのを思い出します。

 

父からは 「東京大空襲の翌朝は、江戸川の土手から御茶ノ水のニコライ堂が見えたんだ。江戸川には人がいっぱい浮いていたよ。」と、聞きました。

この話は、私が社会人になってから父が話してくれました。

今思うと、もっと戦争について話を聞いておけば良かったな…と、思います。

 

父は開戦直前、満鉄...満州鉄道の開拓に参加したく、開拓者に応募したそうです。

応募承諾の連絡担当者が直接我が家にやって来て家族が知り、驚き、みんなで父の満洲行きを止めたそうです。

 

母の家族は開戦前に、軍医をしていた祖父と看護婦だった母の姉が満州に渡っていたそうです。そのまま開戦。日本に帰れず、母と家族は祖父が船で送るお金もほとんど沈没してしまい、

生活は大変だったようです。

母は将来、体育の先生になりたかったそうですが、学校にも通えなくなり、先生になる夢は

叶いませんでした。

 

あの時、父が満州に渡っていたら、

母が体育の先生になっていたら、

私は、今日ここにこうしていることはなかったでしょう。

 

戦争は個人個人の夢を奪い、否応なしに「死」に向かうことを強いられたりします。

 

今回のNHK の朝ドラで「総力戦研究所」と言う機関があったことを知りました。

そして、そこでの研究結果として、日本は戦争を仕掛けても敗戦は目に見えていたんです!

当時、トップだった方々が机上の空論と言い放ち日本は勝ち目の無い戦争に突入して行ったの

です。

 

今も世界のどこかで戦いは起きています。

小さな争いなら、国内でだって日常茶飯事のように起きています。

 

「我唯足知~我ただ足るを知る~」

なぜ人間は、今、手にしているもので満足出来ないのでしょう?

確かに、向上心(欲)を持つことは悪いことではないと思います。ただ、それが過ぎると奪う行為が目的となり、キリがなくなるのだろうと思います。

 

戦いの無い日は、やってくるのでしょうか?

それとも、お互いがお互いを潰し合い、地球上から人間が消えてしまうことになるかもしれませんね。