日々のアレやコレやの他にも
ちょっと実験的に「音楽小説」という
絵で言えばスケッチ的な作品も載せてます。
内容は、簡単に言ってしまうと
BGMがついた超短編、5分前後で読み終わる作品
です。
ぜひ、のぞいてやって下さい。
↓
映画「アレクセイと泉」を見た。 その2
<その1からの続きです>

映画「アレクセイと泉」の魅力をびしばしと書いていきます。
(かなりの長さになると思われます)
あからさまにネタバレするので気をつけて下さい。
(ネタバレしたところで魅力が半減するチープな映画ではないけど)
◆魅力 その1 村の老人たち
村の男と女のありようっていうのは
もうどこの国でも同じなんですよね。
あまり仕事をしないのに、なにかっていうと酒を飲む男たち。
畑仕事から料理、洗濯までこなす働き者の女たち。
女たちは逞しくて、歌も踊りも好き。
男たちは力仕事はやるけれど、すぐウォッカを飲んじゃう。
収穫祭のときにバーバたちが盛りあがって踊っている横で
男たちが飲みすぎて地面に寝そべっているのを
アレクセイが面倒くさそうに運んでいるシーンが良かった。
アレクセイの両親の掛け合いも素晴らしかった。
町に住む孫のところに行くときに
バスの中でこっそり二人で手をつないでいたり、
酔っ払ったのか、寝ぼけているのか
ソファでジージがバーバにべったりくっついて
「おまえと結婚してよかった」とキスをしようとするんだけど、
バーバはそれをいやそうにして、
「でも、あなたは浮気した」と過去のあやまちを全然許してなくて
でもジージは「ああ、美しい人」なんて言い寄っていて…
思わずにやけてしまいましたよ、二人の可愛さに。
◆魅力 その2 動物たちとの距離
畑仕事に、移動手段に大活躍の馬。
泥だらけの子豚。
ガアガアとにぎやかなガチョウ。
窯で寝るのが好きな灰だらけの猫。
どこに行くにも先頭を走る犬。
村には色々な動物がいます。
そして村人もアレクセイも
動物たちを溺愛するのでなく、無関心にしているのでもなく
本当に自然に、対等な存在として、そこにいるのがとても印象的でした。
じゃがいもを掘っているときに
ちょこまかとガチョウが畑に歩いているのが邪魔で
バーバはガチョウをつかまえて顔を見つめて
「掘るのを手伝うの? 手伝わないの? 手伝わないならどっか行ってて」と言います。
綱を引いても歩かなくなった馬に、
「リンゴでも食べたいの?」と
木になった青い実をもぎってあげるアレクセイ。
ジージと一緒にベンチに座っていた犬が
ジージの友達が来た瞬間にベンチから降りて
座るスペースを作ってあげていたり。
とにかく自然なんです。
一緒に生活している姿にまったく無理がない。
ものすごくフラットなわけです。
(それは動物に対してだけじゃなくて、村人たちのアルクセイに対する
関わり方もそうかもしれない。村に残った唯一の若者であるアルクセイは、
障害があろうがとにかく色んな仕事を頼まれる。)
それでいて、将軍という名のガチョウは
アレクセイの誕生日に焼かれて皿にのったりするわけです。
それもすごく自然。
命をいただくということ。
特に美しかったのは
アレクセイが真っ白な雪の中で犬と遊んでいるシーン。
犬はアレクセイのことが大好きで、いつでもどこでもくっついていきます。
その日もアレクセイが馬のソリに乗って森に行ったのだけど
ふと彼は馬をとめて、犬と遊びだす。
犬は嬉しくて、雪の中で大はしゃぎ。
それをロングショットでカメラが撮っている。
とても素敵なシーンだった。
魅力 その3 自給自足の生活
村での生活は、基本的に自給自足。
だから年金をもらっても、お金が必要ないから
最低限のものを買ったら、ほとんど町にいる孫たちに送る。
じゃがいも掘り、麦刈、ピクルス作り。
食べ物はもちろんのこと、ちょっとした布でさえ
毛をつむいで糸にして織ったり。
できることは自分たちですべてまかなうという生活。
泉のわきにある、洗い場の木枠を作り直すシーンが面白かった。
以前から「早く直して」とバーバたちに言われていたけど
なかなか重い腰をあげない、平均年齢71歳の5人のジージ。
司祭様が来るということになって、やっと動き出すんだけど
そのときのセリフが格好いい。
「とにかく始めることだ。そうすればいつかは終わる」
怠け者のジージたちが森で木を切って、斧でコンコンやりながら
きれいに作り直すんだけど、少しサイズが小さい。
まぁ、いいか、なんてジージたちは案の定、ウォッカで乾杯。
そこにバーバがやってきて、
「たいした仕事もしてないのに」と小言をちくり。
「うちの女房はいつもああなんだ。気にしないでくれ」と
またウォッカを飲み始めるジージたち。
まあ飲んだくれてばかりのジージたちだけど
斧や鋸を持ったり、ナイフで木を削ったりさせると
さすがに森と共に生きてきた男たちなだけあって
いい仕事をするわけです。
泉に捧げる十字架を作ったジージ2人もかわいかった。
司祭様から名前を呼ばれて、はにかみながら賛辞を送られてました。
余談だけど、収穫祭とか司祭様が来るときって
バーバたちのエプロンとか頭にかけている布とかが
いつもより、ちょっとオシャレな花柄の刺繍のものを身につけているのね。
バーバも女の人だ、やっぱり。
魅力 その4 なにはともあれアレクセイ
この映画で絶対に欠かせないのがアレクセイの存在。
村に残った唯一の若者。
障害があって歩くのも話をするのも
健常者に比べると不便そうに見えますが
ものの数分でそんなことに気を留めなくなります。
畑仕事も、水くみも、力仕事も、動物の世話も、彼は文句ひとつ言わずにやります。
ただシンプルに自分のやるべきことをやる。
彼の行動は誰かを助けるとか、支えるとかそういうことではないんですよね。
『町に行ってもいつも村に心を寄せている。だから僕は残った』
働き者で、しかも信じられないくらいに優しい心を持ったアレクセイ。
酔っ払って地面に寝そべりながら、カエルを手にのせて
話かけているシーンなんて、本当にフィクションの映画では見ることができない
童話的な場面です。
矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、
アレクセイは、作りものでは絶対に表現できない、
作りものの中に生きているような人物なんです。
本当の意味でのファンタジーとは、現実世界にあるからこそファンタジーなんです。
彼は馬にもよく話しかけるし、撮影後記を読んだ限りでは
切った木に対して「ごめんね」と言っていたようです。
ここまでくると、彼を聖人のように見てしまいますが
それは危険な考え方。
アレクセイを聖人にしてしまえば物事は簡単だけど、そうじゃない。
彼は、やっぱり限界のある人間で
障害があることも事実。
ただ、普通の人よりもとてもシンプルでやさしいだけ。
たぶんこれは僕自身の見方ではあるけれど
アレクセイが力いっぱい杭を打ち込んでいる姿とか
蒔を割っているときの表情のなかに
本当に微かだけど、どこか現状に対する言葉にできない
何かが宿っているように感じました。
アレクセイ自身も意識していないような何かがあるような気がして
そこに人間味を感じたりも。
でも、そうは言ってもやっぱり特別なオーラを持っています。
アレクセイの登場シーンで
これは一生忘れないだろうなというカットがありました。
もう映画史上に残る美しいシーンと言っても過言じゃない
それは夏の朝に水浴びをしているところ。
朝モヤが立ち込める大自然のなかで
アレクセイがパンツ一枚で川からあがってきて
たどたどしく服を着ています。
その肉体には、毎日の畑仕事でついた、
無駄のない見事な筋肉。
健康のためだとか
格好よくなるためだとか
何かを探究するためにつけられた筋肉ではなく
ただ、生きるためにできた筋肉。
毎日の生活のなかでで自然についた筋肉なんです。
じゃがいもを掘り、馬をひき、水をくむための身体。
そんな身体からかすかな蒸気を発しながら
服を着ているアレクセイの姿。
そこに音楽も言葉もない。
説明もなにもない。
かすかな呼吸の音だけが聞こえる。
アレクセイの白い息に朝日があたっている。
大きな空と草原と川の流れる音。
そして、忘れてはいけないのが
そこが放射能で汚染された大地であるということ。
あんな美しいカットを、ここ最近見たことがないです。
しかも映画の1シーンとはいえ
ドキュメンタリーなので演出は一切なし。
たぶん撮影も予定されてなくて
たまたま見かけたっていう感じが画面からも伝わってきました。
リアルな日常の彼の姿が神々しい。
これを「美」と呼ばずに、何を「美」と呼ぼうか。
いま思い出しても鳥肌が立つくらいです。
◆最後に泉の話。
不思議と放射能に汚染されていない「泉」。
こんこんとわき出る水の音が、とてもいい音楽になっていました。
泉は村人たちにとっても、心の拠りどころになっているのだろうと思います。
汚染されなかった奇跡の泉。それは信仰や祈りに似た気持ちを起こさせます。
そして僕が映画を観ながら思ったのは
「泉」は何のメタファーなのか? ということ。
もちろん、監督からの答えはありません。
そこに泉があり、生活する人々がいる。
それだけでいいし、メタファーだなんて考える必要もないのだけど
どうしても僕は「泉」の意味、のようなものを考えてしまう。
汚れることのない、純粋な水の源。
心の拠りどころで、それがあるから大丈夫だと思えるもの。
大げさに言ってしまえば神のようなものに近い何か。
これはブジシチェ村だけの話じゃない。
泉(あるいは泉のようなもの)は、いたるところにある。
場所に限らず、人間の心の中にも。
そこでひとつの疑問がわきあがる。
はたして僕の中に「泉」はあるのだろうか?
答えはすぐに出る。
僕にとっての泉とは、言葉だ。
何からも汚されず、水のように自由に流れていく言葉。
それが語られるものであれ、紙に記すものであれ
僕は言葉への信仰がある。
この泉(言葉)があれば、大丈夫だと思える。
泉が表すメタファーとは、
何が起きても揺るぎないもの、ということなのかもしれない。
そして、この「アレクセイと泉」という映画でつきつけられたこと。
それは、いかに人は生きるのか?
これは本当に「生き方」を問う映画だと思う。
放射能で汚染され、地図からも消えた村で
今までと変わりなく暮らす老人とアレクセイと動物たち。
そこに悲壮はなく、笑いと歌と踊りとウォッカと、生きるための仕事がある。
さて、では
おまえはどう生きていくんだ?
チェルノブイリと同じことが起きている今の日本で
僕はどう生きていくのか。
改めて意識するようになりました。
うん。
アレクセイはおそらく今日も畑に出て、泉で水をくんでいるのだろうな。
長くなりましたが、とにかくオススメの映画なので
上映会やDVDで観る機会がある方は、ぜひご覧になって下さい!
上映会情報などはこちら
↓
http://movies.polepoletimes.jp/alexei/
アレクセイと泉 [DVD]/出演者不明

¥4,935
Amazon.co.jp

映画「アレクセイと泉」の魅力をびしばしと書いていきます。
(かなりの長さになると思われます)
あからさまにネタバレするので気をつけて下さい。
(ネタバレしたところで魅力が半減するチープな映画ではないけど)
◆魅力 その1 村の老人たち
村の男と女のありようっていうのは
もうどこの国でも同じなんですよね。
あまり仕事をしないのに、なにかっていうと酒を飲む男たち。
畑仕事から料理、洗濯までこなす働き者の女たち。
女たちは逞しくて、歌も踊りも好き。
男たちは力仕事はやるけれど、すぐウォッカを飲んじゃう。
収穫祭のときにバーバたちが盛りあがって踊っている横で
男たちが飲みすぎて地面に寝そべっているのを
アレクセイが面倒くさそうに運んでいるシーンが良かった。
アレクセイの両親の掛け合いも素晴らしかった。
町に住む孫のところに行くときに
バスの中でこっそり二人で手をつないでいたり、
酔っ払ったのか、寝ぼけているのか
ソファでジージがバーバにべったりくっついて
「おまえと結婚してよかった」とキスをしようとするんだけど、
バーバはそれをいやそうにして、
「でも、あなたは浮気した」と過去のあやまちを全然許してなくて
でもジージは「ああ、美しい人」なんて言い寄っていて…
思わずにやけてしまいましたよ、二人の可愛さに。
◆魅力 その2 動物たちとの距離
畑仕事に、移動手段に大活躍の馬。
泥だらけの子豚。
ガアガアとにぎやかなガチョウ。
窯で寝るのが好きな灰だらけの猫。
どこに行くにも先頭を走る犬。
村には色々な動物がいます。
そして村人もアレクセイも
動物たちを溺愛するのでなく、無関心にしているのでもなく
本当に自然に、対等な存在として、そこにいるのがとても印象的でした。
じゃがいもを掘っているときに
ちょこまかとガチョウが畑に歩いているのが邪魔で
バーバはガチョウをつかまえて顔を見つめて
「掘るのを手伝うの? 手伝わないの? 手伝わないならどっか行ってて」と言います。
綱を引いても歩かなくなった馬に、
「リンゴでも食べたいの?」と
木になった青い実をもぎってあげるアレクセイ。
ジージと一緒にベンチに座っていた犬が
ジージの友達が来た瞬間にベンチから降りて
座るスペースを作ってあげていたり。
とにかく自然なんです。
一緒に生活している姿にまったく無理がない。
ものすごくフラットなわけです。
(それは動物に対してだけじゃなくて、村人たちのアルクセイに対する
関わり方もそうかもしれない。村に残った唯一の若者であるアルクセイは、
障害があろうがとにかく色んな仕事を頼まれる。)
それでいて、将軍という名のガチョウは
アレクセイの誕生日に焼かれて皿にのったりするわけです。
それもすごく自然。
命をいただくということ。
特に美しかったのは
アレクセイが真っ白な雪の中で犬と遊んでいるシーン。
犬はアレクセイのことが大好きで、いつでもどこでもくっついていきます。
その日もアレクセイが馬のソリに乗って森に行ったのだけど
ふと彼は馬をとめて、犬と遊びだす。
犬は嬉しくて、雪の中で大はしゃぎ。
それをロングショットでカメラが撮っている。
とても素敵なシーンだった。
魅力 その3 自給自足の生活
村での生活は、基本的に自給自足。
だから年金をもらっても、お金が必要ないから
最低限のものを買ったら、ほとんど町にいる孫たちに送る。
じゃがいも掘り、麦刈、ピクルス作り。
食べ物はもちろんのこと、ちょっとした布でさえ
毛をつむいで糸にして織ったり。
できることは自分たちですべてまかなうという生活。
泉のわきにある、洗い場の木枠を作り直すシーンが面白かった。
以前から「早く直して」とバーバたちに言われていたけど
なかなか重い腰をあげない、平均年齢71歳の5人のジージ。
司祭様が来るということになって、やっと動き出すんだけど
そのときのセリフが格好いい。
「とにかく始めることだ。そうすればいつかは終わる」
怠け者のジージたちが森で木を切って、斧でコンコンやりながら
きれいに作り直すんだけど、少しサイズが小さい。
まぁ、いいか、なんてジージたちは案の定、ウォッカで乾杯。
そこにバーバがやってきて、
「たいした仕事もしてないのに」と小言をちくり。
「うちの女房はいつもああなんだ。気にしないでくれ」と
またウォッカを飲み始めるジージたち。
まあ飲んだくれてばかりのジージたちだけど
斧や鋸を持ったり、ナイフで木を削ったりさせると
さすがに森と共に生きてきた男たちなだけあって
いい仕事をするわけです。
泉に捧げる十字架を作ったジージ2人もかわいかった。
司祭様から名前を呼ばれて、はにかみながら賛辞を送られてました。
余談だけど、収穫祭とか司祭様が来るときって
バーバたちのエプロンとか頭にかけている布とかが
いつもより、ちょっとオシャレな花柄の刺繍のものを身につけているのね。
バーバも女の人だ、やっぱり。
魅力 その4 なにはともあれアレクセイ
この映画で絶対に欠かせないのがアレクセイの存在。
村に残った唯一の若者。
障害があって歩くのも話をするのも
健常者に比べると不便そうに見えますが
ものの数分でそんなことに気を留めなくなります。
畑仕事も、水くみも、力仕事も、動物の世話も、彼は文句ひとつ言わずにやります。
ただシンプルに自分のやるべきことをやる。
彼の行動は誰かを助けるとか、支えるとかそういうことではないんですよね。
『町に行ってもいつも村に心を寄せている。だから僕は残った』
働き者で、しかも信じられないくらいに優しい心を持ったアレクセイ。
酔っ払って地面に寝そべりながら、カエルを手にのせて
話かけているシーンなんて、本当にフィクションの映画では見ることができない
童話的な場面です。
矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、
アレクセイは、作りものでは絶対に表現できない、
作りものの中に生きているような人物なんです。
本当の意味でのファンタジーとは、現実世界にあるからこそファンタジーなんです。
彼は馬にもよく話しかけるし、撮影後記を読んだ限りでは
切った木に対して「ごめんね」と言っていたようです。
ここまでくると、彼を聖人のように見てしまいますが
それは危険な考え方。
アレクセイを聖人にしてしまえば物事は簡単だけど、そうじゃない。
彼は、やっぱり限界のある人間で
障害があることも事実。
ただ、普通の人よりもとてもシンプルでやさしいだけ。
たぶんこれは僕自身の見方ではあるけれど
アレクセイが力いっぱい杭を打ち込んでいる姿とか
蒔を割っているときの表情のなかに
本当に微かだけど、どこか現状に対する言葉にできない
何かが宿っているように感じました。
アレクセイ自身も意識していないような何かがあるような気がして
そこに人間味を感じたりも。
でも、そうは言ってもやっぱり特別なオーラを持っています。
アレクセイの登場シーンで
これは一生忘れないだろうなというカットがありました。
もう映画史上に残る美しいシーンと言っても過言じゃない
それは夏の朝に水浴びをしているところ。
朝モヤが立ち込める大自然のなかで
アレクセイがパンツ一枚で川からあがってきて
たどたどしく服を着ています。
その肉体には、毎日の畑仕事でついた、
無駄のない見事な筋肉。
健康のためだとか
格好よくなるためだとか
何かを探究するためにつけられた筋肉ではなく
ただ、生きるためにできた筋肉。
毎日の生活のなかでで自然についた筋肉なんです。
じゃがいもを掘り、馬をひき、水をくむための身体。
そんな身体からかすかな蒸気を発しながら
服を着ているアレクセイの姿。
そこに音楽も言葉もない。
説明もなにもない。
かすかな呼吸の音だけが聞こえる。
アレクセイの白い息に朝日があたっている。
大きな空と草原と川の流れる音。
そして、忘れてはいけないのが
そこが放射能で汚染された大地であるということ。
あんな美しいカットを、ここ最近見たことがないです。
しかも映画の1シーンとはいえ
ドキュメンタリーなので演出は一切なし。
たぶん撮影も予定されてなくて
たまたま見かけたっていう感じが画面からも伝わってきました。
リアルな日常の彼の姿が神々しい。
これを「美」と呼ばずに、何を「美」と呼ぼうか。
いま思い出しても鳥肌が立つくらいです。
◆最後に泉の話。
不思議と放射能に汚染されていない「泉」。
こんこんとわき出る水の音が、とてもいい音楽になっていました。
泉は村人たちにとっても、心の拠りどころになっているのだろうと思います。
汚染されなかった奇跡の泉。それは信仰や祈りに似た気持ちを起こさせます。
そして僕が映画を観ながら思ったのは
「泉」は何のメタファーなのか? ということ。
もちろん、監督からの答えはありません。
そこに泉があり、生活する人々がいる。
それだけでいいし、メタファーだなんて考える必要もないのだけど
どうしても僕は「泉」の意味、のようなものを考えてしまう。
汚れることのない、純粋な水の源。
心の拠りどころで、それがあるから大丈夫だと思えるもの。
大げさに言ってしまえば神のようなものに近い何か。
これはブジシチェ村だけの話じゃない。
泉(あるいは泉のようなもの)は、いたるところにある。
場所に限らず、人間の心の中にも。
そこでひとつの疑問がわきあがる。
はたして僕の中に「泉」はあるのだろうか?
答えはすぐに出る。
僕にとっての泉とは、言葉だ。
何からも汚されず、水のように自由に流れていく言葉。
それが語られるものであれ、紙に記すものであれ
僕は言葉への信仰がある。
この泉(言葉)があれば、大丈夫だと思える。
泉が表すメタファーとは、
何が起きても揺るぎないもの、ということなのかもしれない。
そして、この「アレクセイと泉」という映画でつきつけられたこと。
それは、いかに人は生きるのか?
これは本当に「生き方」を問う映画だと思う。
放射能で汚染され、地図からも消えた村で
今までと変わりなく暮らす老人とアレクセイと動物たち。
そこに悲壮はなく、笑いと歌と踊りとウォッカと、生きるための仕事がある。
さて、では
おまえはどう生きていくんだ?
チェルノブイリと同じことが起きている今の日本で
僕はどう生きていくのか。
改めて意識するようになりました。
うん。
アレクセイはおそらく今日も畑に出て、泉で水をくんでいるのだろうな。
長くなりましたが、とにかくオススメの映画なので
上映会やDVDで観る機会がある方は、ぜひご覧になって下さい!
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アレクセイと泉 [DVD]/出演者不明

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