東京四谷で修業を始めてから2年がたったころ、私はどうしてもマネジメントやリーダーシップを実地で学びたく思うようになりました。

もちろんそれまでのお店も、素晴らしい手本となるスタッフがそろっており、毎日背中を見て学ぶことは出来ました。ただ、本当に自分のものにするには、実際に自分で体験し、沢山の挑戦と失敗を繰り返す必要があると感じました。

自分を1から育て、沢山の学びをくださった四谷のお店にとても感謝しています。自分が出来る限り頑張ったつもりではありましたが、ほぼ調理は素人だった私に1から教えるのは本当に大変な苦労だったと思います。

ここまで育てていただいたのに、去ってしまうことが申し訳ありませんでした。ただ、自分にはマネジメントを習得することがどうしても必要と考え、私は四谷のお店を去ることにしました。

本当に多くの失敗をして、迷惑と苦労をおかけしました。そしてそれを寛容に受け入れてくれたことをとても感謝しています。必ず、ここで学んだことをいかして、地元宮城にこだわりあるハンバーガーの文化を根付かせてみせます。


「人形町に本店を構える、東京グルメバーガーの老舗へ」

私がマネジメントを学びたいと門を叩いたのは、東京人形町にあるグルメバーガーの老舗店でした。

この場所には「独立したい」という目標を持った人が全国から集まり、それまで30人以上の卒業生が独立し、夢をかなえていました。

スタッフの大半は独立希望者で、店内はエネルギーに満ち、体力も精神力も求められる忙しい職場でした。

業務は多岐にわたりましたが(調理や接客だけでなく、配達業務、人材教育、チラシ配りやポスティング、近隣会社への営業まわり、葉書作成、SNSへの情報発信、顧客リストの獲得から日々の掃除など)、商売をする上で必要なことばかりでした。「どうしても夢を実現したい」と思っていた自分にとっては願ってもない最高の環境でした。

私はどんなにきつくても、夢を実現するために喰らいついていこうという覚悟で、この場所への入社を決めました。


 

私は新富町にある店舗に配属になりました。接客から始まり、チラシ配りや会社への営業回り、徹底した掃除など、いままでやったことのない業務も覚え、どんどん新しいことを教えてくださったので、半年も経つと自分が出来ることはかなり増えました。

そんなあるとき、私に初めてのアルバイトの部下が出来ることになりました。マネジメントや教育が学びたいと思っていた私は大変張り切りました。

まだ大学1年生になったばかりの女の子でした。私は教育計画をたてて、大切に大切に育てました。とても素直で元気で明るい子で、頑張って働いてくれました。アルバイトの子にとって生まれて初めての職場だったので、いい思い出を作ってあげられるだろうか…ちゃんと成長させて、社会に出たときに恥ずかしくないように出来るようにできるのだろうか…と不安もありましたので、その子が仕事を段々と出来るようになるのをみるのが、毎日嬉しくて仕方がありませんでした。

アルバイトの子がお客さまから褒められたり、喜ばれたりしたときは、私は本人よりもうれしくて、心の中でガッツポーズをしていました。

私に大きな自信を与えてくれました。今まで自分には教育なんてできないと思っていたけど、きちんと勉強をして、丁寧に接すれば人は成長していくことを教えてくれました。また私はスタッフがいきいきと働ける場所を創りたいという夢を持っていたので、彼女が笑顔でいきいきと働いてくれことは、自分の夢に近づいたような気がしました。客観的に考えればちいさなことだけれども、自分にとっては大きな一歩でした。

2人目に入ってきたアルバイトの男の子も同じく大学1年生でした。大切に大切に、我が子と思って接しました。2人目のアルバイトの子も本当に素直に明るく働いてくれる方で、みるみるうちに育っていきました。

余談ですが、この2人は今、ディズニーランドで働いているようです。今あの2人があそこでたくさんの人を喜ばせていると思うと、とても誇らしいです。私もちょっとはいいキッカケを与えられたのかなぁ…と勝手に想像して、ちょっと嬉しく思っています。勘違いだったらごめんなさい(笑)


「信じられるかではない。信じると決めてしまう。」

大切なことを教えてくれた、1人の女性社員。

そんな毎日を過ごしていると、3人目の新人スタッフが社員として入社することになりました。新卒で、調理学校卒の女性スタッフでした。仮にAさんと呼ぶことにします。

Aさんは知識や経験もあり、「これはこうするといいですよ」、「こうしたほうが良くなると思いませんか。」などと私に色々提案をしてくれました。

しかし私は、調理師学校出身の人に舐められたくないという気持ちや、自分が入社してから初めて社員が入社するということで、なんとしても彼女を一人前に育てなければ…とやる気が空回りしていたのかもしれません。

 

私は彼女の提案に対し、「いや、こっちの方がいいから。」と、ことごとく聞く耳を持ちませんでした。私はくだらないプライドを持った本当に器の小さい人間でした。

Aさんはだんだんと、私の提案や指示に批判的になっていきました。
彼女との関係性は悪くなる一方で、教育もまったく進まないままでした。

時間だけが過ぎました。自分はスタッフみんなが明るくいきいき働ける店をつくりたいと思っているのに、なんでこんなにうまくいかないのだろうと悩みました。次第に、「自分は悪くない。相手が悪いんだ。いいお店を作るには、相手のことを変えなくてはいけない」と思うようになりました。

「人は変えられない。すべての原因は自分にある」という原理原則を、私は忘れてしまいました。私は「人を変える」ことに一生懸命になったのです。

Aさんを変えなければと躍起になった私は、彼女のことを徹底的にチェックようになりました。一日の営業を通して彼女がダメだったことをメモし、営業終わりにそれを指摘し、それを改善するよう促しました。Aさんのいいところや感謝すべきところはそれ以上に沢山あったのに、少しも触れませんでした。

私はその時、悪気は全くありませんでした。店をよくするために正しいことをいうのは必要なことと信じていたし、正しいことを言えば、人は正しい行動をとり、店は良くなると信じていました。

でもAさんは変わりませんでした。逆に反発が大きくなり、お店の雰囲気も次第に悪くなっていき、チームワークも悪くなり、オペレーションも計画通り回らなくなっていきました。

そんなある日、私はAさんに話したいことがあると言われ、いつもより早めに店に行きました。彼女の眼には涙が浮かんでいました。

彼女のこぼれ落ちる涙と悲痛な顔をみて、私はやっと、自分が犯してしまった過ちに気付きました。

私は謝り、もう一度やり直させてほしいとお願いしましたが、一度失ってしまった信頼を回復するにはもう遅すぎました。

優しいAさんは私のことを理解してくれましたが、心に与えてしまった傷は大きく、Aさんはのちに退職しました。

私は本当に大バカ者でした。自分がされて嫌なことを人にして、心に傷を負わせているのに、口では「スタッフがいきいき働ける場所を作りたい」と唱えている偽善者でした。

Aさんも自分と同じ気持ちで、お店をもっとよくしたいと色々提案してくれたのに、自分に聞く力がありませんでした。働いて誰かに喜んでもらうことは幸せなことなんだと伝えたかったのに、自分がしたことは真逆のことでした。「仕事は我慢の連続で、苦しく、ひたすら耐えるものだ」という価値観を押し付けていたようなものでした。

もう二度と同じ過ちを繰り返さぬよう、私はマネジメントを猛勉強しました。


すがるような気持ちで行った八重洲ブックセンターで、買い込んだ本の数々。

右側の1分間シリーズは何度も何度も読み返しました。

 

すぐに分かったことですが、私がAさんにやってしまったことは「マイクロマネジメント」というもので、人のマネジメントにおいてやってはいけないことでした。

こんな基礎的なこともわからないでいた自分が恥ずかしく、情けなくなりました。

お店の雰囲気は依然として悪くなる一方で、スタッフの離職は続きました。ついには50席ほどの店に主要社員スタッフが2人しかいないという絶望的な状況になりました。

もう変えていくしかありませんでした。
もちろん変えるのは「自分の心」です。

枝葉で変えたところも沢山ありますが、私が根本的に変えたことはたった一つでした。「相手を信じられそうだから信じるのではなく、先に信じると決めてしまう。」という、とてもシンプルなものでした。

それまでの私は、条件付きで人を信用していました。この人は責任感があるから、人柄がいいから、信用できると。


でもそれでは、信用出来ていない人の場合、Aさんのように、マイクロマネジメントをしてしまったり、関係性がギクシャクしたり、成長スピードは確実に落ちます。信用していないのが、言葉にしていなくとも、言葉尻や態度、表情に出てしまうからです。


だから、先に信じると自分で決めてしまいました。相手の過去や現在はどんな人であろうと、相手の未来を信じました。


そのせいで自分が傷ついても、チームが崩壊するよりは全然いいと思いました。むしろチームのために1人1人を信じて支えるのが自分の役目なのに、自分が傷ついたり嫌われるのを恐れてスタッフを信じないなんて、何やってるんだ…という感じですよね。


その変化は目にはみえない、自分の心の中の変化でしたが、大きな力を持っていました。




何度も読み込んだ1分間シリーズ(ケン・ブランチャード著)