2018年1月、無事オーストラリアの大学院を卒業し、就職先も決まりました。

就職は4月からでしたので、それまでの2か月ほどをオーストラリアで休暇を過ごすことにしました。

 

休暇中は日本から家族が来てくれたり、アルバイトをしながら、今までできなかったパースの街を観光したり、大学やバイト先の友人とバーベキューをしたりしてリラックスした日々を過ごしました。

 

家族が日本から来てくれたとき

ルームメイトやクラスメイトとBBQをしました

 

休暇中のある日、私はいつものように海沿いのハンバーガー屋でアルバイトをした後、ビーチ沿いの夕焼けがとても奇麗だったので、一人でベンチに腰掛けてのんびり眺めていました。

 

ゆっくりした時間が流れる中、聞こえてくるのは波の音だけでした。ただ夕日に照らされた広い海を眺めてぼーっとしていると、自分がとてもちっぽけな存在に感じました。

 

自分が今まで気にしていたことがとてもくだらないことのような気がしてきて、気持ちが急に軽く感じました。10年以上泣いたことがありませんでしたが、その時は不思議と涙がゆっくり流れてきました。色々なことを気にして、ずっと我慢して押し殺していた自分の感情が、一気に流れ出てきたような気がしました。

 

今なら自分の正直な気持ちと対話できる気がして、私は今まで忙しくて考えられなかった自分の将来について考えました。

 

 

自分はどんな生き方がしたいのか、いつか死ぬときどうありたいか…と考えたとき、何もはっきりした答えが出ず、自分がこれまで流されて生きてきたことに気付きました。

 

自分がなぜここまで来たのか振り返ってみると、沢山の見栄やプライドで汚れていました。「周りにすごいと言われたい」、「周りに負けたくない」、「尊敬されたい」、「バカにされたくない」とか。周りからどう思われたいかばかりで、そこに自分の意志はありませんでした。

 

学生の頃の私の経歴は、

 

2009-2012 宮城県仙台二高出身

(2012 漫才M-1グランプリ出場)

2012-2016 岩手大学工学部応用化学生命工学科

(2014 全日本大学サッカー選手権(インカレ)東北代表として出場)

2016-2018 西オーストラリア大学大学院

 

こうして書くと、自分がなんだか勉強も出来て、スポーツも出来て、さらにユーモアもあり、なんでも万能で明るくエネルギッシュな人な気がしてきます。

 

もしかしたらそう思われたくて、そんな自分になりたくて、無意識にこの経歴を作りあげてきたのかもしれません。

 

でも実際の私はとても臆病で、人見知りで、ただ周りに言われたからお笑いをやり、自分に正直になれず、自分の意志もなく、周りに流されて生きてきた小心者でした。

 

私はそんな自分が大嫌いでした。

 

自分はなにがしたいのか、どんなときに一番喜びを感じるのか…海を見ながらふと思い返すと、高校生の時にお笑いで人を笑顔にしたときでした。そういえば、高校生の時はお笑い以外で人を笑顔にする方法が思いつかなかったから、なんとなく周りの声をきいていたら、ここまで来てしまったのだ…と思い出しました。

 

「お笑い以外で人を笑顔にすること。」

 

高校生の時は思いつかなかったけれど、その時パッと頭に浮かんだのは、アルバイトをしていたハンバーガー屋でした。

 

ハンバーガー屋のスタッフと過ごした2年間

 

感動するほど美味しいハンバーガーを囲む、お客さんの楽しそうな笑顔、イキイキと楽しそうに働くスタッフ、ハンバーガー屋を囲む明るい街。

 

今までアルバイトをしていた時は大学院の研究で忙しくて気づきませんでしたが、自分にとって、それは理想の光景でした。

 

ハンバーガー屋のスタッフとサッカーをしたときの一枚

 

「こんなお店を地元東北につくれたら…」

 

その情景を想像したとき、鳥肌が立ち、今まで塗り固めた不必要な見栄やプライドを、自分の内から湧き上がる「これをやりたい!挑戦したい!」というエネルギーが上回るのを感じました。

 

飲食業は長時間労働で低賃金のところが多く、一般的には敬遠される職業かと思います。だから、今まで積み上げてきた学歴や知識を捨て去ることは怖く、両親の期待を裏切るのも胸が痛みました。

 

でも、私はこれ以上自分に嘘はつきたくありませんでした。自分に正直に生きたい。見栄やプライドに流されて生きるよりも、自分に正直に生きて、人を笑顔にし、人の役にたつ生き方がしたいと思いました。

 

自分の意志で、美味しいハンバーガー屋を作りあげて、地元東北の人に幸せを届けたいと思いました。

 

私が好きな本、「自分の中に毒を持て(岡本太郎著)」で、心に留めている一説があります。

 

「夢がたとえ成就しなかったとしても、精一杯挑戦した、それで爽やかだ。」

 

この言葉と、オーストラリアの広大な海が、道を外れる恐怖を飲み込んでくれました。

 

2018年3月、ここで私は、自分に正直な一歩を踏み出すことを決断しました。