苦い言葉と祭りの定義 | ハザマランド

苦い言葉と祭りの定義

 今年もビーケンワン怪談大賞の結果と選評 が発表されました。
 受賞された皆様、おめでとうございます。
 拙作は選に漏れてしまいましたが、より良い作品目指して今後も精進したいと思います。
 さて、そんな怪しいお祭りですが、選評に目を通してみると所々(というかほとんど)叱咤激励や苦言で埋められています。解釈は人それぞれなので、自分がそう感じているだけなのかもしれませんが、一言にまとめるならば、
「これはどういった祭り(文学賞)だよ? 」
と、言ったところでしょうか? 第一回の選評を見ればわかるのですが、そもそもビーケーワン怪談大賞は夏の怖い話を読むだけなく書きたいというコンセプトで始まったと書いてあります。
 怖い。恐ろしい。
 これらの感情の起こり方もまた千差万別なので、ある人にとって鳥肌を立てて震えるものが、別なある人には腹を抱えて笑えるものと成りかねない。まぁ、それは極論ですが、そんな多種多様な読者をどう前者に近い状況、闇を感じられる心情に導くのか。それを可能にするものが、いわゆる良質の怪談と評されるのでしょう。
 暗闇なくして怪談成らず。今一度、奉っているものに目を向けて、祭りの意義を考え直せ。選者達の発言から自分はそういった印象を受けました。
 そんな中、同時に私の中で、ある映像が浮かびました。
 それは実際に大都市で開かれる祭りの景色。
 屋台での買い物や夜空の花火を見上げるのもままならない人で溢れた祭り。そこを訪れるほとんどの人が何の祭りか知らず、人が集まっている、騒いでいるという本筋とは離れた理由でさらに集まり膨らんでいく。祭りを最も愉しむ立場のスタッフまでもが群集をさばくことに追われ、事態を収拾しようと荒く振舞い、小さな祭りならば許されるちょっとした悪ふざけや子供の手を離すことに怒号を響かせる。
 奇しくも今年はオリンピックが開催されていて、奮起する選手や観客達をテレビで見ながら、大きな祭りにはそれだけの準備期間や明確なシンボルが必要なんだなと考えてしまいました。
 だけど、そのぶん大きな祭りにはそれに見合う感動もあるわけで……
 年を跨ぐにつれて応募者の増えるビーケーワン怪談大賞は今後ますます変貌していくんだと思います。
 個人的には馬鹿騒ぎできる小さな祭りも大好きなんですけどね。
 何はともあれ今年も一つの夏が過ぎていきます。
 ビーケーワン怪談大賞関係各位。応募者の皆様。お疲れ様でした。