29年前の1月17日午前5時46分。
聞いたことのない恐ろしい地鳴りで目が覚めた。
怖い、なんなんだろうと思った次の瞬間、感じたことのない前後に揺れる地震、続けて横揺れの地震。怖くて母親のところに行きたいが動けなくて反射的に布団に潜りじっとする。
揺れがおさまって、母親が子供たちを呼ひあつめ無事を確認しあった。
結構揺れたが、我が家ではそこまで大きな被害はなく、普通にみんな学校に行った。
学校から帰り見たテレビの映像。
崩れ落ちた高速道路、広がる火事、液状化現象て水が上がってきている場所。
へしゃげた建物。
「水をください」と広場に大きく土を掘って書かれた文字がヘリから映し出されている。
どんどん増える死亡者の数。
祖母が、「戦争の後みたいや。」とポツリという。
自然の恐ろしさを思い知らされる。
壊滅的だった神戸。長い年月をかけ、こんなに美しく復興した。
その時に助けていただいた恩返しだと、さまざまな団体が東北の大震災の時も、今回の能登半島地震にもお手伝いに駆けつけているとメディアから聞く。
優しさのバトンが渡っていく。
困った時はお互い様。そういって
即座に行動に移せる人がこんなにもいるのだ。
その事実に泣きそうになる。
私の職場からも救護班が第一弾、第二弾と出発した。
わたしが今出来ることは、救護班の皆に思いを託してみんなが出発したあとの職場の安全を守ること。
そして募金。
ほんの少ししか協力出来ないけど、被害に遭われた方の安全と、一日も早く今まで通りの生活に戻れますよう願っています。
そしてみて、聞いて体験した震災というものの恐ろしさと防災対策の大切さをこれからの世代の子供達にも伝えていきたいと思います。
これだけの被害を生んだ阪神大震災を風化させないように。