・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
プライド (20070901)
気が付くと、私の回りには他の小学校でイジメられていた少女が二人、集まって来るように成っていた。
なんとなく、気にはなっていたけれど。 害が在った訳ではないので、そのままスルーしてた。
ある日。 一人のイジメられている少女が、私の名前を出したと聞いた。
「 私に手を出したら、○○○○さん( 私 )が、許さないから! 」と。
私はその瞬間。 激怒した。
感情の連動は、とても珍しく。 怒りのままに、彼女を問い詰めた。
殴り飛ばしても良かったのだけど。
彼女は怯え、体裁を繕う様に、私に怯えてた。
彼女は、明らかに「 イジメ 」を恐れていた。 私から、標的にされる事への、恐れ。
私は、怒りが湧いてきた。 許し難い怒りが、溢れ出して来るようで。
けれど、その「 恐れ 」を見ていると、やりきれなさのほうが増した。
彼女を解放した。
けれど、それ以降。 私は、彼女に冷たい言葉を、一言二言投げ捨てるようになった。
彼女は、笑ってる。 直接のイジメをされない安堵から、笑ってる。
私は、吐き気を覚えた。 怒りを覚えた。
けれど、それ以上のことは、しなかった。
彼女の、プライドの無さ。 彼女の下卑た振る舞い。。。全てが、癇に障った。
まるで、私自身を見せ付けられているようで。 自分自身に、嫌気がさした。
もう、これ以上、見たくないと思った。 けれど、彼女は自身の身を守るため、私の側へ寄って来る。
気持ちが悪い。。。 その、歪んだ笑みが、気持ちが悪い。 吐き気がとまらない。。。
彼女を見たくなかったのは、自分自身の姿を、彼女を通して、見せ付けられている気になってしまうから。
だけど、それを認めたくは無かった。 けれど、吐き気と苦しさが、それを直視させる。
私に、自覚させる。 母親に対しての、私自身の在り方を。。。
私自身の歪んだ弱さや、虚像を浮き彫りにさせられるようで、とても苦しかった。
お前に、プライドはないのか!!!と。
私を殴り飛ばしても、身を守ろうとしないのか!!!と。
なぜ、全てのものと、戦おうとしないのか!!!と。。。
なぜ、媚びた笑いを浮かべて、逃げるんだと、、、
まるで、私自身の姿がそこに、投影されているようで、キツかったのを覚えています。
三年間。 この少女は、私の側に居ました。
けれど、卒業間近の頃。 私はこの少女をボコボコに殴り、蹴り倒しました。
一対一でした。 彼女は、殴られる一方でした。
私が、どんなにやり返して来い!と罵っても、身体をガードして小さく丸まっているだけでした。
一方的な暴力は、気分が悪く。 けれど、許し難く。
彼女が最後、私に見せた「 ムカツク態度・挑発 」を、私は許せなかったのです。
次の日も。彼女は学校へ登校してきます。 私に、詫びて。
私は、スルーします。 彼女は、イジメの標的に成っていないことに、安堵するようでした。
気持ちが悪い、、、、、、、、、、、
強いのか、卑屈なのか解からない彼女が、、、気持ちが悪い、、、、、
自分自身が、気持ちが悪い、、、、、、、 吐きそうで吐きそうで、、、気持ちが悪い、、、、、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大人になって思うのは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自己弁解になってしまうので、それは避けますが。
子供同士の世界は、とても複雑だと思うのです。 イジメもそう。。。
けれど、大人の介入が、必要でもあると思うのです。
直接介入が必要な時もあるかと思いますが。
そのまえに、間接的にでも、子供の一人一人がイジメや思いやりに対して、考える事の出来る
切っ掛けが学校や、家であればとも思うのです。。。
人や、物。 お年寄りに対する思いやりや、動物に対する優しい気持ち。
いま、教えてあげられる場所が無いように個人的には、感じられてしまいます、、、
子供たちの心が、、、健全で、苦しくないように、幸せで在れる事を強く願います。。。。。。。