図書館からの帰り、畑の中に置かれた古いリアカーが目に付きましたので、運転しながら、懐かしさとともに、昔のことがふと頭を過ぎりました。
それは、フフッと、思い出し笑いをするようなことなのです。
わたしが小学5年生と6年生の頃は、同じ男先生に受け持たれました。
この先生は、大学卒業したばかりのなかなかの熱血先生で、男子生徒には特に人気の有る先生でした。
昼休みには良く生徒と相撲をとったりしていましたが、面白いのは、先生本人が、自分は哲学好きだと子供に熱心に話すような人で、ペスタロッチがどうだとか、カントはどうだ、ヘーゲルはどうだなどと、授業中に度々話が飛んでいくような人でした。
おかげでわたしは感化を受けて、高校生の頃までは、読書傾向がそちらの方へ大方傾いていましたが、読み進んだ多くの本の中から、何となく内容が理解できた、と思えるようなものは、ほんの数冊にすぎませんでした。
そんな先生ですから、先生が下宿先を引っ越す時などは、男子生徒の数人は進んで手伝いに行ったものでした。
当時の先生は、子供が見ても貧乏暮らしのようで、大学生の時は、十円を借りたり貸したりしていたそうですから、家具というものもほとんど有りません。
それで一台のリヤカーへ、家具と言う程も無いような木箱や布団などを積み込んで、力自慢のわたしが新しい下宿先まで運ぶ役になりました。
当時から家の商売の手伝いも多少していたわたしは、リヤカーを、店の配達用の頑丈な自転車の荷台に繋いで、短い足でやっと漕ぎながら、先生の新しい下宿先へ向け出発しましたが、荷物を積んだリヤカー自転車の運転には、どうにも力不足であることが、暫くして自分ながらに判りました。
しかし乗り出した以上止めるわけにも行きませんので、必死でこぎ続けましたが、途中でとうとう制御が効かなくなり、運悪く街中のパチンコ屋の前の自転車の列に突っ込んでしまったのです。
夕方のパチンコ店の中は、子供の目からは禍々しい明かりが灯り、多くの人影がチラリと見えましたが、リヤカー付自転車で、十数台並んだ自転車の列に横から突っ込んで行った瞬間は、もの凄い音が響きわたり、わたしはただ茫然として、ハンドルを握ったまま固まってしまいました。
一瞬後には、「なんやなんや!!」と、パチンコ屋の中から威勢の良い兄さんやおっさんが何人も湧き出て来ました。
わたしはもう、何を言われても、どんな罵声を浴びせられても、身をすくめて固まっているしかないと、死に体を決めるしかありません。
将棋倒しのように無惨に倒れた自転車を眺め、次には自転車の上で固まっているわたしを眺め、事情を察知したようでしたが、意外にもわたしには何も言わず、おっさんや兄さんたちは黙々と倒れた自転車を片付け始めたのです。
わたしは片付けが終わるまで固まったままでしたが、数人の兄さん方が傍に来ると、「にいちゃん気を付けて行けや」と、わたしの自転車とリヤカーを道路まで引っ張って運んでくれたのでした。
わたしはちょこっと頭を下げて、ドキドキの内心をホッと撫で下ろし、気もそぞろのまま自転車を漕いで進んで行ったのでした。
そして、その後の記憶は無いのです。
先生の新しい下宿先へ着いたことは確かなのでしょうが、お兄さんたちが自転車を道路に出してくれた後は、奇麗に記憶は途切れています。
それほど自転車の列への突撃は、ショックなことだったのですね。
そして今考えれば、パチンコ屋の兄さんたちが、なにも言わずに、黙々と倒れた自転車を片付けてくれた気持ちが判るような気がします。
小学生が、古びた型の自転車の後ろにリヤカーを繋ぎ、何となく生活事情の判るような荷物を積んで、見るからに無理をしつつそれを運んでいる。
そして子供は、自転車の上で青い顔をして固まっている。
そしてまた一方で自分たちは、火点し頃からパチンコ屋で遊んでいる。
もう何も言葉は出てこなかったのでしょうね。
今だからこそわたしも、フフッと笑えることなのですけど。