面白い本を読みました。 池波正太郎さんの自伝「青春わすれもの」です。
この本は、池波さんが子供の頃から、終戦後劇作家を経て、小説家になるまで、そして小説家になって後の暫くの間が書かれていまして、50代前半という若さの頃に、前半生を翻り執筆されたものです。
後書きにも、小説新潮編集部の川野れい子さんに執筆を依頼されながら、「そもそも、まだ回想記ごときものを書く年齢ではないし・・・」と、当初お断りをしたことが書かれています。
しかし内容は、川野編集者が予言された如く、なかなかに面白い内容になっていまして、当時の読者の反響も素晴らしいものが有ったようです。
池波さんは13歳で小学校を卒業して、働きに出ています。
東京生まれの東京育ちですから、現在と同じで、就職先には困らなかったのでしょう。
なにやら親戚の若い者に、兜町の証券会社(商店)へ就職している人が居て、それの真似をして、また違う証券会社(商店)へ就職しているのです。
そこから、池波さんの社会人としての生活が始まりますが、この興味津々の内容を書くべきなのでしょうかねぇ。
書こうと思えば、文を拾って書けると思いますが、書いてしまうのが何となく勿体ない?ような・・・、それよりこの本を読んで欲しいような、そんな気がするのですね。
わたしは子供の頃から、人間そのものに、割と関心が深いほうでして、小学生から中学生のころは、有名人の伝記を好んで読みましたし、後年はその中身を探るべく、いろいろと幅広く本を読み漁ってきました。
そのような意味からも、この池波さんの自伝は、特別な存在に感じられるものでした。
そんなことで、読み終えてから感じたことだけを書きますと。
まず若い頃16歳やその後で、すでにいろいろと遊んでいますね。
勤めの株屋が景気がよいことも有って、子供ながらにお金に不自由せず、色町などへも出かけ、馴染の者なども居たようです。
また、その後は徴兵で海軍へ入り、いろいろとあるのですが、子供の頃から兵隊に成ってからでさえ、その生き方には常に威勢の良さが感じられますね。
つまり池波正太郎という人には、威勢が良いとか、気風が良いとか、ただ江戸っ子だからという以上のものが、生れ付き具わっていたようです。
だからでしょうが、喧嘩もよくしますね。 ちょいと書きますと、喧嘩で橋の欄干から二度も川に落ちていますね。
そして軍隊でも、上司のバカバカしさに無言で逆らって、顔が何日もスイカのように張れあがったりしています。
そんなこんなを読んでいますと、池波さんという人間の在り様は、その後のいろんな作品の中に、当然ながら塗り込められているように思いますが、特に感じますのは、「鬼平犯科帳」の主人公、長谷川平蔵の生き方に、それがそのまま投影されているような、わたしにはそんな感じがするのです。 (今現在「鬼平犯科帳」を読んでいるからかもしれませんが)
このような人間が真っ直ぐに、良い方向へ出来上がって行けば、長谷川平蔵のようにな人間になるのだろうなぁと、思いますし、現実には無理でも、そんな人物を書き込める人間に成るのだろうなぁ、と思わせてくれるのですね。
この本の表紙の姿も、如何にも威勢と気風の良さがあふれていますね。
戦後、新国劇の辰巳柳太郎や島田正吾と、丁々発矢と遣り合った気概が、身の周りに漂っています。
島田正吾さんもこの本に後書きを書いていますが、「僕たちは一時不仲になったことがあります・・・これから先もひょっとしてまた、芝居のことで意地っ張りの喧嘩をすることがあるかもしれない・・・」
と書かれています。
池波さんとは、面白い人ですね。 人間池波正太郎と言う作品も、自分で気概をもって創り上げてきたものなのでしょうが、そんな人の作品だからこそ、作品に、読者を引き付ける何かがあるのでしょう。
特にわたしのような、市井の庶民が愛読するなにかが・・・。
氏の写真の姿ですが、わたしの子供の頃までは、近所の石屋のおじいさんが、あのような姿で通りを闊歩していました。
